電気代の請求書に驚き! 節電を心がけるが…
先日ポストに入っていた電気代の請求書の金額を見て、震え上がってしまった。これまで見たことのない高額を叩き出していたからだ。光熱費の高騰が世間を賑わす前から、電気・ガス・水道はなるべく節約を心がけていた。それでも冬は限界がある。万年冷え性の私は、長時間過ごす仕事部屋の寒さにはどうしても耐えられないからだ。
エアコンの温度設定は最低でも25度、足元には速暖がウリのパネルヒーターとひざ掛け、さらにはお肌やのどの乾燥を防ぐ加湿器のフル稼働が必須になっていた。しかし、ついにそのツケが回ってきたことは明らかである。
どうしたものかと暗い気持ちになり、ひどく肩を落としながら、夕飯の材料を買いに近所のスーパーに足を運んだ。キャベツの値段を見ていたら、高齢の男性の素っ頓狂な声が聞こえてきた。「今月の電気代、5万だったよ。まいったねぇ」と馴染の店員に嘆いていたのだ。「あぁ、私だけじゃなかったんだ。やっぱりみんな大変だよね……」。ささくれ立った心が、ほぐれるのがわかる。
翌日から、私は徹底的な節電に勤しむことを固く決意した。
運が悪いことにその日は、都内が冷凍庫のような寒さに包まれていた。布団から起きるなり、あまりの寒さに一瞬「ゲゲッ」と、たじろいでしまう。だけど、ここでひるむわけにはいかない。エアコンはぜいたく品、エアコンはぜいたく品――。
常に時代に適応させられて… 「低成長時代」を生きるには
あの数字を見た瞬間から、そんな言葉が頭の中で何度もループしているのだから。
私は寝室から毛布を引っ張り出した。発熱素材のインナーや外出用のフリースを着込み、毛布を巻きつけ、全身おくるみの状態で、パソコンの前を陣取る。仕事部屋は日差しがほとんど入らないこともあり、室内なのにまるで屋外にいるかのような寒さである。毛布をまとっていても、指は震えてかじかみ、突き刺すような冷気で頬はひんやりして、腰がジーンと冷えているのがわかる。いつもの癖でついついエアコンのスイッチに手を伸ばしたくなるが、ここは心を鬼にしなければならない。寒い、寒い、とにかく寒い、寒すぎる――。なんだか無性に悲しくなって、泣けてきた。
バブル崩壊から、30年。ロスジェネ世代の私は、景気の良い時代を知らず、こうやって時代に適応を強いられ、何とか生きてきた。今やロスジェネに限らず、生活や老後にも不安を抱える後輩も多い。賃金も上がらず、貯金は減っていく一方。それでも生きている以上、どうにかこの社会にへばりついていかなきゃいけない。
低成長時代を、どう生きるか。いろいろなオブラートに包まれているが、そのような意味のことが巷ではよく叫ばれている。私たちは自分自身の置かれた環境に、カメレオンが色を変えて周りに溶け込むかのように生きてきたと思う。経済状況の度重なる悪化に翻弄されながら、日々なんとかささいな幸せを見つけながら――。
手頃な娯楽で「それなり」に生活できている気分の危険性
高級レストランは夢のまた夢でも、近所にある激安のファミレスに入れば、たらふく食事ができるし、スマホのゲームやYouTubeなど無料コンテンツでいくらでも時間を潰せる。大してお金はないが、なんとなく空腹を満たせるし、コスパの良い娯楽もあるので、それなりに生活を回せているような気にさせられる。その一方で心の底では、まるで自分で自分をごまかしたり、騙しているような、違和感ばかりがこみ上げて来るのもまた事実である。
最近、書店を訪れると、よく目に入る数字がある。「年収400万円」を切り口にした本だ。知り合いの編集者に聞くと、こうしたいわゆる“年収400万円本”は、売れ筋なのだという。また、節約術や少ない年金生活で楽しく生きる系の本も花盛りで平積みとなっている。「令和版ザ・清貧」のめくるめくサバイバル術――。それはまさに世相を反映した低成長時代に相応しいラインナップだといえる。本を手に取ってみると、「ほら、みんな少ない手取りで、慎ましく丁寧な暮らしをして前を向いている。私だけじゃない。だから頑張ろう」と耳元で囁き、読者を勇気づけるような内容も多い。
だけど、本当にそれでいいのだろうか。今の私の目の前の現実は、凍えるような寒さの部屋だ。キーボードを叩く指がかじかんで震えていて、打ち間違いが頻発している。気がつくと吐く息は真っ白である。鼻水がツーと口まで伝ってきて、思わずテッシュペーパーを探すが、見当たらないので手の甲で拭う。鼻水だけが温かい。なぜ私は、こんなことをしているのか、しなければならなくなっているのか。もしかしたら、と思う。
「平均年収」344万円の女性の生活は自転車操業
ひょっとすると、私たちは負け続けるだけの悪趣味な罰ゲームのような世界に参加させられているのかもしれない。そして参加者は皆「出口はある」と信じて必死にやり繰りする何千万人もの人々がその日その日を戦い続けている。勝ち目はほぼゼロであることはわかり切っているのに……。
極寒の日から一か月後、私は親友のYちゃん(37歳)とファミレスで女子会を開いていた。Yちゃんは明るく人懐っこい女の子だ。彼女と会っていると元気をもらえる。だからよくこうしてたわいもない話をするのが日課になっている。昨今の物価高・光熱費の高騰もあって、この日の女子会のメインテーマは、ズバリ節約術である。
Yちゃんは、不動産関連会社の正社員で、事務職として勤めている。年収は344万円で、手取りは232万円。ちなみに令和3年の民間給与実態統計調査によると、平均給与は年443万円だ。女性の平均給与が年302万円だから、Yちゃんの年収は水準よりはやや高めだが、「平均」の給与所得者といえる。
しかしそんな「平均」的とされる事務職のYちゃんの生活は、率直にいって苦しい。都内のマンションに一人暮らし。女性が安心して暮らせる最低レベルのマンションの家賃6万6000円と電気・ガス・水道、通信費、保険などの固定費、プラス食費や雑費で、手元のお金はあっという間に消える。けれどもそんな自転車操業のような生活も、Yちゃんには不思議と板についているようだ。
「ねぇ、このブラウス500円で買ったんだよ。可愛くない? すごいでしょ。中野の激安の服屋があるの、知ってる?」
「知ってる! こんなの売ってるんだ。めちゃかわいいね」
Yちゃんは身にまとっているシフォンのピンク色のブラウスを指さし、目を輝かせる。その中野の服屋は私も心当たりがあった。確かあの店はとにかく安値で服をたたき売りしていたっけ。ブラウスは一見500円とは思えない代物で、掘り出し物だと思った。Yちゃんの節約談議は止まらない。
平均年収の女性が語る「節約術」 2時間以内なら歩いて電車に乗らない
「デパートの洋服売り場なんてさぁ、そもそも服を買う場所じゃないよね。あそこは下見に行く場所だよ。今こんなデザインが流行ってるんだなって。それをイメージしながら、似たものを激安の服屋で探すの」
Yちゃんはきっぱりとそう断言する。キラキラしたデパートの洋服売り場は、あくまで観賞用なのである。もちろん、50%オフのセール品ですら高級品。だからYちゃんは激安の服屋でデパートの模倣品をせっせと買い、髪の手入れは1000円カットで済ませ、化粧品は母親に貰うようにしている。呑兵衛のYちゃんは、宅呑み用でちょっとだけイイお酒だけを飲むのが、生きがいだ。だから、それ以外の支出を極限まで減らして「人間らしい生活」を維持している。Yちゃんの健気なまでの努力は、低成長時代を生き抜くため自然と身についた処世術なのである。彼女ほどに財布の紐が硬くない私はその逞しさに、思わず感心してしまう。ドリンクバーを何往復もしながら、Yちゃんは「節約の極意」を次々に私に伝授する。
「あと節約できるのは交通費だね。電車代を浮かすために一駅二駅なら全然歩くよね。いやいや、待てよ。2時間以内なら余裕で歩けるな。ひたすら歩きまくる。終電を逃しても、歩くよ。健康にも良いしね。もちろんタクシーとかは論外。絶対乗らない」
なるほど、と思う。例え数百円の電車代でも「塵も積もれば」なのである。私はまだまだ甘いようだ。それにしても、Yちゃんと私は何かが決定的に違う気がする。それは彼女には突き抜け感があり、あっけらかんとしていて前向きだからだ。お金に関してつい愚痴っぽくなる私とは対照的なのだ。
豊かさを知らないまま死ぬまで働く罰ゲームのような時代に
それはYちゃんにとって人生はある意味、先が見える一方通行のようなものだからかもしれない。事務職なので、今後給料が大幅に上がる見込みもない。それなら支出を限界までそぎ落として、ストレスの少ない状態に変えようというわけだ。
しかし考えてみればフリーランスの私はともかく、Yちゃんは「平均」的な日本の給与所得者である。そんな彼女がここまで倹約を強いられる社会って――。やっぱり日本はどこか底が抜けている気がする。
そう思ってニュースやシンクタンクなどの情報を調べてみると、やはり税や社会保険料の負担が重く伸し掛かっていることが分かった。先ごろ財務省は、2022年度の「国民負担率」が47.5%になる見込みだと発表した。国民の所得に占める税金や社会保険料などの負担の割合を示したものだが、たった10年、20年ほど前までは30%台で推移していたというから驚きだ。平成の30年の間に国民年金保険料は2倍になり、国民健康保険料も1.6倍に増えた。医療費は1割負担から3割負担になり、厚生年金の支給開始年齢も60歳から65歳に引き上げられた。ここ数年は「人生100年時代」という言葉をしきりと耳にするようになった。やっぱりこの世界は、豊かさを知らないまま死ぬまで働かされる悪趣味な罰ゲームなのかもしれない。