家中に溢れる洋服、調理器具…… 捨てられないのはいったいなぜ?

 

 SNSデトックスの後、なぜだか家中に溢れるモノたちが目についた。
 使い切れずに化粧ケースに眠っていた大量のコスメ、クローゼットを支配する何年も袖を通していない洋服たち、シンクの奥底にしまってある大量のお菓子作りグッズ、数百円の安物のピアスにネックレスに指輪、小さな部屋をやたら占拠する大型テレビ、数回使っただけのふくらはぎマッサージ機etc……。
 昔から整理整頓が大の苦手な性格だった。小学生の頃は机の引き出しが汚すぎて、教師からよく小言を言われていたし、今もモノの所有が多い方だと思う。買ったはいいが、メンテナンスしたり、管理するのが苦手なのだ。
 だからといって、せっかく買ったモノを捨てるのも、後ろ髪を引かれる思いがする。何よりも、「いつか使うかもしれない」という甘い囁きは強力だ。結局その「いつか」は来ないことを、薄々わかってはいるのだけれど。
 とにもかくにも、そうして私の部屋にはモノが溢れていた。
 しかしSNSを辞めて「こうなりたい」と思っていた自分から一歩自由になると、肩の力がフッと抜けた。そして、唐突に私を形作っていたモノたちがくすんで見え始めた。急に大量のモノたちに囲まれた部屋に、妙な居心地の悪さを感じるようになったのだ。

 

ミニマリズムの教えが「捨てられない」私の生きづらさのヒントに

 

 モノを所有しているのは一見、私自身に見える。しかしもしかしたら、こうやって部屋に溢れるモノたちに、私自身が縛りつけられているのではないか――、そんな思いに駆られた。それはまるで見ていた世界が反転するような不思議な感覚だった。
 ミニマリズムという言葉がある。ミニマリズムを世界に広めたジョシュアフィールズミルバーンとライアン・ニコデマスは、数々の著作を持つ有名ミニマリストだ。
 彼らは、『minimalism 30歳からはじめるミニマルライフ』で、『ミニマリズムとは、幸せと満足感と自由を見つけ出す目的で、人生において本当に大切なものだけにフォーカスするために、不必要な過剰物を取り除くためのツールである』と書いている。そして、それを実践しているのがミニマリストというわけだ。
 私はこのミニマリズムの考え方に共鳴した。よく考えたら家にあるモノたちもSNSでの人格と同じで、私が「こうありたい」と願って買ったものたちだ。そして見渡してみると、そのほとんどが今の私にとっては、使い切れずに用を成していない。それなのになぜか、私はそれらを手放すことができなかった。そうして、まるで臭いものに蓋をするように、どれも収納の奥にギチギチに押し込まれている。

 

いざ「捨て活」! 作業中は丸裸になる感覚に……

 

 私は自分が長年時間を掛けてため込んだ大量のモノを前に立ちすくみ、そして、たじろいだ。
 そこで、お片付け本やミニマリズムの本やブログやネット記事をむさぼるように読むようになった。それによるとコロナ禍で人々の在宅時間が長くなったことで、巷ではお片付けがブームだという。言われてみれば私の住んでいる地域でも、粗大ごみの回収予約は数か月先だ。コロナ禍は、多くの人たちがモノと向き合う機会を必然的に作り出したのかしれない。調べていくと、『婚活』や『終活』ならぬ、『捨て活』なんて言葉があるらしいこともわかった。
 具体的な片付け方法として、多くのプロたちがお勧めしているのは『全部出し』という手法だ。洋服なら洋服、文具なら文具という、あるカテゴリーの品を一か所に全部出してみて、その中から今の自分に本当に必要なものだけを選んでいこうというやり方だ。
 正直な話、私はこの『全部出し』が無性に怖かった。いざモノと向き合おうと決めたのはいいが、まるで自分が内臓まで丸裸にされてしまうかのように感じるからだ。誰かに見られるわけでもないのに、心がざわざわして、思わず後ずさりしたくなる。しかし、よく考えてみれば、丸裸にされるのも、するのも私なのだ。そして、何よりもそのモノを溜め込んでいたのももちろん、自分自身――。私は、きっと私と向き合うことを、恐れていたのだと思う。

 

クローゼットに眠る衝動買いした洋服は「痛みの記憶」

 

 しかし、そんな億劫な気持ちに支配されながらも、恐る恐る『全部出し』に挑むことにした。
 まず手をつけたのは、洋服だった。クローゼットから服や下着がパンパンになって、いつも不格好にはみ出していたのが長年気になっていたからだ。衣装ケースを次から次に開け、フローリングの床に積んでいく。こんもりと洋服の山が築かれていく様は、あれだけの狭いスペースによくこれだけのものが入っていたなと思わず感心してしまうほどだった。こうして全部出ししてみると、実際に日常的に使用しているのは、取り出しやすいところにある手前の数枚だけだったことにはたと気づかされる。
 奥に眠っていたのは、一時の感情だけで衝動買いした洋服たちだ。それらの服を見ると途端に、憂鬱な気分に支配されるのがわかった。ズキズキとした心の痛みがまるで昨日のことのようにフラッシュバックする。それは、あの時なぜこの服を買ってしまったのか、そしてなぜ着なくなったのかという「服」を巡る苦い思いが蘇ってきてからだ。
 フリフリの裾を持つ花柄のとろみ系ワンピースは、デパートのキラキラのライトに照らされてびっくりするほどキレイに見えた。しかし、それは手足が細い華奢なマネキンが着ていたからだ。いざ家に帰って着てみると、背が高く肩幅のあるがっちり体型の私には、絶望的なほどに似合わなかった。
 だから私はその洋服を一度も人前で着ることもなく、箪笥の奥に「封印」したのだ。洋服は不幸なことに、一度も日の目を浴びずギューギューに押し込まれていた。チクリと心を突き刺すような小さな悲しみと共に――。思えば、クローゼットの奥にはそんな「痛みの記憶」の詰まった無数の服たちが沈澱しているのだった。

 

捨てることはネガティブな感情に向き合うこと

 

 そんな膨大な服たちを巡る感情に支配され、私は思わず体の動きを止めてしまう。
 そうか、と思う。私が何よりも怖かったのは、服を捨てることそのものではない。あの時のネガティブな感情が再び疼くことだったのだ、と。きっと私はクローゼットに奥に潜む、ドロドロとしたその感情を気づいていた。だから、クローゼットを開くことが億劫だった。見たくなかった。だから私は今どうしたらいいかわからずに、フリーズしてしまっているのだ。
 だけど、もう、前に進んでもいいかもしれない。今の私ならあの時の私を、何とか受け止められる気がする。
 あなたはあの時傷ついていたんだね――。私は、洋服の手触りを一枚一枚確かめながら、昔の私に語りかける。そうして、私の人生で残念ながら役目を果たせなかった大量の服たちに、勇気を出してさよならを言うことにした。それはたんに服を処分するということではなく、コンプレックスだらけで苦しかったかつての私と対峙することでもあった。
 着ていない洋服をゴミ袋に詰め込むと、クローゼットの引き出しがスルリと開くようになり、服の出し入れがしやすくなった。服たちの総量が減ったことで、一目でわかるので、取り出しやすくなった。そして、何よりも心と体がふわりと軽くなった気がした。

 

料理が苦手なのに溢れかえる調理器具 裏側には「ある思い」

 

 モノと向き合うとは、自分自身と正面から向き合うこと――。だから、とてつもなく痛いし、苦しい。モノには瞬間瞬間の自分の感情が宿っているから、処分することは引き裂かれるような痛みを引き受けることだったりもする。
 しかしそれでも、私はそこにかすかながら一条の光を見ている。きっとこの苦しみの先には、何かが待っているはずだ。今はまだわからないけれど、そんな確信があったからだ。
 私は洋服を皮切りに、数か月を掛けて部屋中のありとあらゆるモノと向き合うことにした。不思議なことに一度『捨て活』にエンジンがかかると、熱に浮かれたかのように火がついた。
 キッチンの引き出しに溢れかえっていたのは、お菓子やパン作りグッズだ。今は使わなくなったクッキー型や、パウンドケーキの金型、パンこね機や面台、ケーキカップなどなど、出てくる、出てくる。ため息をつきながらそれらを全て収納から出すと、一つ一つを手に取ってみた。
 よくよく考えてみると、私は昔から料理が苦手だった。そして、それが長年のコンプレックスでもあった。そんな私が突然お菓子作りに目覚めたのは数年前だっただろうか。いや、正確には目覚めたというよりも、「強迫的な何か」に駆られていたといっていい。昔読んだ少女漫画の主人公はサッカー部のマネージャーで、男子たちの手作りのお菓子をよく振舞っていた。私が憧れていたのはあの子のような、さり気なく手作りのクッキーやパウンドケーキを差し入れできる誰にでも愛される「女の子」だ。私は、そんな「女の子」になってみたくて、大量のお菓子作りグッズを買い漁ったのだ。

 

 

使われない調理グッズにはコンプレックスを克服しようと躍起になった記憶が……

 

 今も料理が苦手なのは変わらない。しかしその時は熱に浮かされたかのように休日になるとレシピサイトを見てクッキーを焼き、パンを作った。しかし、それが楽しいと思えた記憶は実は一度もない。それよりも自分のコンプレックスを埋めようという思いで必死だった。
 結果、どうなったか。
 私はお菓子やパン作りを「頑張りすぎた」挙句、燃え尽きた。ある日を境に嵐が過ぎ去ったかのように、これらのグッズに見向きもしなくなったのだ。私が買った調理グッズは、こうして必然的にキッチンの一番下の引き出しに追いやられ、使うことはなかった。
 キッチンの下段には、長年見て見ぬふりをしてきた苦い思いが詰まっている。もうそんな自分を受け入れてもいいかもしれない。私は、私の中の苦しがっていた「女の子」を手放したい。今後、お菓子作りをするのは心の底から自分が楽しいと思えるときにしよう。そのときが来たら、また新たに買い直せばいい――。
 そうして何年も眠っていた調理グッズたちと、私は別れを告げることにした。

 

埃を被った名刺ホルダー そこには人脈作りに奔走した跡が

 

 モノと向き合ううちに気づいたことがある。モノは私のコンプレックスの象徴で、それを買い漁ったり、収集することで埋めようとし、しがみつこうとしていたのだ。それは、仕事関係のモノにも如実に現れていた。
 仕事場のデスクの引き出しに眠っていたのは、千枚以上の名刺が入った名刺ホルダーだ。仕事で自己実現しなければという強い「呪い」にも支配されていた私は、人との出会いを無為に繰り返していた。かつての私は、異業種交流会や朝活、呑み会などの場に積極的に参加することを日課としていた。誰かに呼ばれたら、とりあえず顔を出す。それが当たり前だと思っていたのだ。二時間余りの呑み会で、名前も覚えきれないほどの人たちと名刺交換をすることもあった。一気に膨れ上がった名刺入れを見ていると、たくさんの人たちが私を認めてくれたかのような錯覚に陥って、どこかホッとしたのを今でも覚えている。
 増え続ける名刺を収納できる名刺ホルダーが必要になり、何冊も買い求めた。当然ながら、そこに収納された何百人もの相手と頻繁に連絡を取り合うことはない。それどころか名刺ホルダーは埃をかぶり、ここ数年開いた記憶さえなかった。
 名刺ホルダーは生きづらさを抱える私が、無理をしてがむしゃらに人脈を広げ、つなぎとめようとした跡でもあった。しかし本当の私は、膨れ上がった人間関係に振り回された挙句、ストレスで疲弊し、時には虚しささえも感じていた。私の中の私に問いかけてみる。「あなたは今、誰と一緒にいることが本当に幸せなの?」
 名刺ホルダー数冊感を手にしながら、「もう無理しなくていい」と感じている自分に気がついた。私の偽らざる本心――、それは自分の理解者である少数の人たちに囲まれて生きていきたいということだ。心の中では、自分が大好きな人たちだけと残りの人生を共にしたいと思っている。それが、私にとって本当の意味での幸せなのだった。

 

名刺を全て破り捨て……溺れかけていた自分やコンプレックスを手放す幸福感

 

 私は丸一日かけて大量の名刺を全て破り捨てた。最終的には名刺を収納していた名刺ホルダーそのものも捨ててしまった。それはいつしか膨大な数の人間関係の中で、溺れかけていた自分自身を手放すことでもあった。
 私はそうやって来る日も来る日もモノと向き合っていった。数か月経った今も、モノとの関係の試行錯誤は続いている。これは人が生きている限り、一生終わらない営みなのだろう。例えペン一本にも、それを手にした時に感じた嬉しさや苦しみ、悲しみなどの逡巡が詰まっている。モノと向き合うこと、そしてその中から今の自分を幸せにするモノだけを選んでいくということ。私にとってがむしゃらにモノと向き合ったこの数か月は、数年にも匹敵する濃密さだった。モノと自分との関係を改めて見つめ直す旅はすなわち、自分自身の深層を辿る旅だったからだと思う。旅の途中には、天国と地獄を行き来するような感情のジェットコースターが待っていた。
 しかし、その先には自分の弱さや脆さ、コンプレックスを手放すことの歓びがあったと思う。それこそが、私が見た眩いばかりの「光」の正体だったのだろう。
 モノの洪水の中で七転八倒しながら、私は来る日も来る日も、捨てて、捨てて、捨て続けた。洞窟の中にいた私は、小さな光だけを手掛かりにまだ見ぬ出口を探し続けた。辺りは漆黒の闇だったが、その小さな光は進むべき道を優しく照らし出し、太陽の降り注ぐ彼方へと私の背中を優しく押すのだった。

 

(第13回へつづく)