もう君はいない 愛犬を喪って思うこと

 

 11年間連れ添った犬が亡くなって半年が経つ。ふと朝、目が覚めると、まどろみの中で今もあの暖かで少し骨ばったけむくじゃらに触れたい、いつものように抱きしめたい、と感じる。だけど、そこにはいない。あぁ、もう君はいないんだ――。その事実が私の心を、ひりつかせる。半年経った今も私はまだ、傷心から立ち直れていない。
 社会人になって飼い始めたのは、キャバリアキングチャールズスパニエルという耳の垂れた中型犬だ。鹿児島のブリーダーさんのところからやってきた。名前は、ルーと名づけた。
 犬を飼っていると、生活が180度変わる。散歩が日常となるので、暑い日も寒い日も欠かさず外に出るようになる。
 キャバリアは元々は猟犬なので、ルーは運動能力が高く、有り余るほどのバイタリティの持ち主だった。だから、夏は汗だくになりながら、雪の日も風の日も、早朝と夕方に一日二回、私は半ば強制的に一時間ほどの散歩に行くようになった。
 ――ねぇ、散歩に行こうよ、行こうよ!――
 言葉はないものの、いつもの時間が来るとルーはソワソワし始めて落ち着きが無くなり、うるうるとした目で見つめてくる。私は仕方ないなと思いつつ、散歩の準備をする。お散歩バッグにうんち袋を入れて、おしっこをしたときのために、ペットボトルに水を足す。そして、最後にルーの上半身にハーネスをセットすると、テンションが最高潮になる。
 ――わーい! 散歩だ!――
 犬は驚くほど感情表現が豊かな生き物だとつくづく思う。毎日のことなのに、リードをちらりと見せるだけでルーは、いつも尻尾を全力でフリフリして飛び上がって喜ぶ。あまりに嬉しいのか、尻尾が激しく動きすぎて、私の足にあたって痛い。「わかったから! ちょっと待ってて」と、私は笑いながら半ば焦って支度をしなければいけなかった。

 

犬がいたから「普通に」日常を生きられていた

 

 そんなルーにつられて玄関のドアを開け、アスファルトの道へ一緒に走り出す。リードの先から否応なしに伝わるルーのわくわくに、私の気持ちもぐいっと引っ張られるような気がする。犬の持つ躍動感とともに、長時間のデスクワークで凝り固まっていた体が、徐々にほぐれていく。
 ――お外を走るのが楽しいの!すっごくすっごく楽しい!――
 ルーに合わせて歩みを進めると、毎日違った風景が広がっている。真冬でも、頬を撫でる風が日によってひんやりとして、心地良い。ルーはよく草木の臭いをフンフン嗅いだり、排泄をするために、時折立ち止まった。そんな時は私も一緒に、ぼーっとする。仕事がうまくいかなかったりして気持ちが落ち込んでいても、この時間、空を見上げたり、水平線遠くの山々の稜線を見て弛緩した時間を過ごすと、少しだけホッとしたものだ。
 気がつくと、緑地帯に植えられたアジサイが紫色に色づき始めている。あぁ、これから梅雨がやってくるんだ、と私は季節の変化を感じたりもした。春になり、たんほぽのフワフワした種がルーの足元の毛にまとわりつくと、春の訪れを感じて少しだけ嬉しくなった。
 今思うと、ルーはそんな何気ない時間の豊かさを教えてくれていた。巡り巡る季節を知らず知らずのうちに、ルーと共に味わっていた。
 犬といると、毎日いろいろな事件が起こる。今思うと本当に些細なことの積み重ねなのだが、それが日常の彩りとなっていたことを、私は今になって懐かしんでいる。

 

どうしようもなく辛いときもパートナーとの喧嘩も・・・

 

 思えば、ルーには数えきれないほど、助けられてきたと感じる。仕事や家族とうまくいかないことがあると、私はいつもルーの温かな毛の中に顔を埋めた。
 人生には、時にはどうしようもなく苦しいことや辛いことがあるものだ。そんなとき私が一人でめそめそ泣いていると、ルーは「なんでそんな悲しい顔をしているの?」と無垢な瞳を向けて、首を傾げた。そして、全力で私の顔に溢れた涙をぺろぺろと舐めようとした。
 ザラザラした舌がくすぐったくて、思わず笑いがこみ上げてくる。気がつくと、私の顔面はどこもかしこもルーのよだれまみれになっていた。ルーによって私はいつしか泣き笑いになり、そんなちぐはぐな自分がおかしくて、もう少しだけ頑張ろうと思えるのだった。
 パートナーとの緩衝材の役目を果たしていたのも、ルーだった。私たちの喧嘩がヒートアップしそうになると、ルーはいつもその様子を瞬時に察知して尻尾を下げ、切なげな表情になる。そして、落ち着かない様子で私たちの周りをウロウロし始めるのだ。そんなルーを見ていると、二人とも次第に心もとなくなってくる。最後には自然と「もうやめようか」となり、喧嘩が休戦状態で終わることもよくあった。パートナーとの関係が、すんでのところで険悪にならずに済んでいたのもルーという存在が大きかったと改めて感じる。

 

気ままな人との繋がりを私にもたらした「犬軍団」

 

 人との繋がりを自然な形で与えてくれたのもルーだった。
 ルーは、どんな人にも寄っていく人懐っこい性格だった。
 散歩コースの最終地点である日が落ちる夕方の近所の公園には、いつもの「犬軍団」がいる。「犬軍団」とは、地域の犬愛好家たちの緩やかなコミュニティで、それをお隣に住むおばあさんが名づけた通称だ。
 ルーは、散歩の帰りに犬軍団と合流するのが大好きで、毎回、公園までの道をタタタタと走っていった。
 公園には、いつも優しいおじさんがいて、みんなを「よーしよーし」と撫でながら一頭ずつ平等におやつをくれる。ささみやジャーキーなどその日によってメニューは違う。
 ルーは太りやすいということもあり、おやつをあげる習慣はなかったが、この時ばかりは「まっいいか」と思って私もふっと気が抜けたものだ。
 毎日そうやって犬たちを観察していると、犬の中にも序列があることがわかった。「犬軍団」のリーダーは、話好きのおばさんが飼っている柴犬のミルクちゃんだった。そして、とっても優しいトイプーのマナちゃん、ちょっと神経質なチワワのあんずちゃんという定番メンバーがいた。とにかく大人しいラブラドールのボン太くん。犬同士が群れるので、そこで人間も挨拶をしたり、輪に加わったり加わらなかったりする。気分によっては、ただ通り過ぎるだけのときもある。この気ままさが良い。
 おじさんの飼っている毎日けたたましく吠えて通り過ぎていくだけ黒のトイプーもいるが、それも定番の犬コミュニケーションの一つで、ご愛敬だ。
 いつだって元気いっぱいのモフモフなハスキーに、リードをぐいぐいと引っ張ってくるパワフルなミックス犬のあいちゃん。いつも犬用の靴を履いて現れる雅ちゃん。そんな犬たちを抱きしめていると、いつも私は心の底から幸せな気持ちになれた。

 

 

ルーの病気が発覚して・・・ あの日常は永遠ではなかった

 

 飼い主たちの犬談義には、老若男女は関係ない。メンバーも流動的だし、おばさんやサラリーマン、子供連れの主婦など、多種多様だ。犬たちと戯れ、飼い主たちと何気ない会話を交わしていると、時間はあっという間に過ぎて夕日が落ちている。私は、犬たちを囲んだこの夕焼けののどかな時間が何よりも好きだった。
 いつまでも続くと思っていた、あの時間。私にとって、ルーティンともいえる変わりない日常。だけど、それが永遠に続くものではないという事実を、私は見ないようにしていたのかもしれない。
 思えば、一頭、また一頭と、いつしか姿を見なくなった犬たちがいることを私は気づいていた。ボスとして君臨していたミルクちゃんも、がんになって最期はカートの中で、みんなに看取られていった。
 それは、犬だけじゃない。いつしか、雅ちゃんの飼い主のおばさんも、その姿を見なくなった。彼女はとても優しくて、私もときどき果物をおすそ分けしてもらっていた。近所の人によると、持病のがんが急激に悪化して、先日亡くなったのだという。チワワのあんずちゃんの飼い主のおじいさんも介護施設に入ってしまい、姿を見せなくなった。命はプツリと糸のように途切れる時がくる。私はそれを薄々とわかっていた、はずだった。
 ルーが不穏な咳をし始めたのは、4年ほど前のことだ。動物病院に連れていくと、キャバリアに多い、増帽弁閉鎖不全症という心臓の病気だという。病状はステージ2で、この段階では初期だった。病気が分かったときは、涙が止まらなかったが、それでも、ルーは強かった。時たま咳が出ることはあったものの、持ち前の明るさは変わらず、病気が発覚してから4年間は、いつもの散歩も行っていたし、犬軍団にも会って、何とか薬で持ちこたえていた。
 症状が一気に悪くなったのは、10歳を超えたあたりだった。カーッという咳が止まらなくなり、呼吸が苦しくのたうち回る日が続いた。動物が苦しむ姿を見ているのは、自分が病気で七転八倒するよりも何倍も辛く、心が引き裂かれそうになる。気がつくと、ルーの病状は一気に進行し、それまで一種類だった薬は一気に四種類に増えた。薬を飲んでも、症状はあまり改善しなかった。獣医師によると、これが最善の治療法なのだという。

 

容体が悪化していく愛犬を前に シャットダウンした私の心

 

 その頃からルーは、あれだけ大好きだった散歩を渋るようになった。私は、それが何よりもショックだった。
 しばらく経つと、ついに病院までの15分ほどの短い道のりですらも歩いていけなくなった。グイグイといつも引っ張っていたリードを使うことは、この時から無くなり、家で寝て過ごすようになった。それでも、気が向くとルーは自力で家のベランダには出て、気持ちよさそうに太陽の光を浴びていた。私は、赤ちゃんが使うようなスリングや犬用のカートで動物病院までの道のりを歩いて行った。あれだけ短かった動物病院までの道のりが、とてつもなく長く感じられた。それほどまでに、ルーの心臓は弱り切っていたのだ。
 ルーはそれでも体力があるときは、カートから飛び出そうとした。僕は歩きたいの。目は、そう訴えていた。しかし身体は追い付かず、仕方なく時たま首だけをカートから出して、鼻先を上に向けてクンクンと外の臭いを嗅いでいた。そこから、一気に崖を転がり落ちるようになるように容体は悪化していった。玄関に置いていたトイレで排泄ができなくなり、常時おむつをつけた。さらに、腹水が溜まるようになり身体の筋肉や脂肪が衰え、骨が浮き出て、身体はガリガリになった。
 獣医師によると、心臓病の末期の症状だという。この頃からもうダメかもしれない、と思い始めた。そして、ついにご飯を食べなくなった。
 八月の暑い日の夜、今でも忘れることはできない。コンビニにアイスを買いにいって家に帰ると、ルーは、横になってすでに呼吸をしていなかった。体はまだ温かくて、さっきまで生きていたようだ。しかし、目には光がなく、肉体はすでに抜け殻となっていて、そのちぐはぐさに、心がついていけなかった。
 私は、ルーが死んじゃった死んじゃった死んじゃったどうしようどうしようどうしようとパニックになり、心がシャットダウンした。
 へなへなと全身の力が抜け、世界が一瞬でグレーになる。全てがどうでもよく思えて、電源の切れたロボットのように崩れ落ちた。自分の片腕がもぎ取られているのにもかかわらず、その感覚すら失われているという感覚といえばいいのだろうか――。行き場のない感情が、槍のように私の体中を貫いた。

 

愛犬の死から表情も動かず家から出るのが億劫に・・・

 

 私はあの日から、まだ私の体は私のものでないような気がしている。
 犬が亡くなって気づいたのは、あれから、恐ろしいほど顔の表情を動かさなくなったということだ。
「ねぇおいでおいで」「コラー!」「何やってるの」「かわいいね!」
 ルーが日常生活に溶け込んでいたとき、目まぐるしい感情の変化に身を置き、それそのものが輝きを帯びていた。しかしルーが亡くなってからは、そんな感情の揺れ動きが無くなった。それは、平坦な点線がツーーっと続いているような無音の世界なのだった。
 犬といるときは当たり前だった感情表現の機会が無くなったことで、自分の一部が欠落した感覚が拭えないのだ。
 あれだけ面倒だと思っていた一日二回の散歩も必要がないため、家から出る動機もなくなった。外へ出るのは、仕事や買い物など用事があるときだけになってしまう。さらに今の時代ネットスーパーやAmazonがあるので、何日も部屋に籠城できる。
 体は確かに動かした方がいいのだろうが、何よりも自分のために運動をするというのが馬鹿らしく感じる。
 私は気づいていた。社会と私とを繋ぎとめてくれていた小さな一本の線が、ルーの死によって、ぶつりと途切れてしまったことを。

 

(第8回へつづく)