街で見かけたティースプーン、私にそれは不釣り合い
世の中はこんなにかわいいもので溢れているのに、なぜ手に取ることを躊躇してしまうんだろう。
そう思ったことがあるのは、私だけだろうか。
それと出会ったのは、いつぞやの夏だった。仕事の帰り道に寄った、デパートの雑貨屋さんの片隅。キッチンコーナーの端のグラスの中にあった、金色のティースプーンだ。今にも折れそうなぐらい細く、柄の部分には、紫色の六角形のラインストーンがはめ込まれている。それは店内の照明に照らされて、まばゆいくらいに輝いてみえた。
その横にはパール色の姫系ティーカップ、大きな花柄にフリフリのレースがついたパステルカラーのエプロンが並んでいる。
「かわいい!」
私の中の少女が、ムクムクともたげ目を輝かせる。心が浮足立ち、ときめくのがわかる。思えば街中を歩くといつだって、いたるところに「かわいい」モノたちは点在していて私を誘惑している。世界中がうっとりするような笑みを浮かべた「かわいい」モノたちは、大いなる愛に包まれているようで屈託がない。
ティースプーンのお値段は、500円。銀行のATMでさっき下ろしたばかりということもあって、お財布の中には、それを買う余裕は十分にあるのを私は知っていた。
しかしティースプーンを手に取ると、もう一人の自分が、残酷にも少女にこう告げた。
「あんたなんか、あんなかわいいものなんて、似合わないのよ」
そうやって少女を上から見下ろす自分はどこかニヒリスティックで、そして、強大だ。私の中のかよわい無垢な少女は一瞬にして、くしゃりと押しつぶされてしまう。
私はそっと、そして無意識にティースプーンを元の場所に戻した。その瞬間、急に無力感がのしかかってくる。それまで軽かった足取りが重くなり、また一つ、背中に小石が積み上げられたような感覚に陥る。そんな日を何事も起こらなかったように繰り返していると、それが「いつもの」私の代わり映えのない日常に思えてくる。
かわいいものへの罪悪感と孤独死の取材
私は何も買わずに、雑貨屋さんを後にした。かわいいものを見た後、私はいつもなぜだか、何かを勝手に諦めて、切なくなる。そして、その場から逃げたくなる。小さい頃からずっと「かわいい」愛のある世界に包まれたいと願っていた。だけど、こうやっていつも、自分にはその資格はないと感じながら、何かを押し殺して今まで生きてきた。
小さな無力感の蓄積は、私の心と体にじわじわと降り積もっている気がする。そして気がついたら、鉛のような重さとなって、私の心と体をがんじがらめにしているのだ。
私はこうやって、これまでいったいどれだけ、たくさんのものを諦めてきたんだろうか――。私は、なぜ、いつから、「かわいい」ものを諦めるようになったのだろうか。
何も買わずに家路につくいつもの帰り道、ふとそんなことを考えた。
それはどこかとても小さい頃に記憶の彼方に植えつけられた罪悪感だった。それが未だに大人になった私の心の中でふとした瞬間に蘇り、古傷のように疼き、苦しめる。だから私は「かわいいもの」から、逃げたくなるのだ。
その正体を知りたいと思った。
思えば、それは私がずっと取材テーマにしている「孤独死」とも深くつながっている気がする。
事故物件の9割は孤独死によるもの 現場で見えた生きづらさ
私が孤独死の取材を始めて、7年になる。孤独死の取材をしようと思ったのは、ただの偶然にすぎない。事故物件公示サイトの運営者である大島てるさんと、あるイベントで出会い、彼と共に事故物件の本を出すのが決まったことが全ての始まりだった。
事故物件は別名で心理的瑕疵物件ともいう。簡単に言うと、人が家で亡くなったおうちのことだ。私にとって、おどろおどろしいというイメージしかなかった事故物件だが、調べていくうちに事故物件には、自殺や殺人など、様々な種類の死因があることがわかった。大島さんは、本の制作にあたって私にサイトに寄せられたばかりの「ほやほや」の事故物件の情報を送ってきた。
しかし、大島さんが送ってくる事故物件には、自殺や殺人という物件はほとんどなかった。
そして取材を始めるうちに、事故物件のほとんどを実は孤独死が占めているのだということを私は知った。実に9割近くが、孤独死によるものだったのだ。
そうやって、孤独死現場を取材するうちに、私はある共通点に気がついた。
多くの孤独死した人の多くが、自らと同じ社会に対する「生きづらさ」を抱えていることだ。
ある人は、離婚によって、ある人は失業によって、ある人は会社でのパワハラによって苦しみ、社会から孤立して孤独死していた。
それからの私は夢中になって孤独死現場に足を運んだ。今思うと、彼らの死が他人事だとは思えなかったのだと思う。
白い蛆、無数の蠅、人型の体液… それは「生」の刻印
防護服を身にまとい、防毒マスクをして特殊清掃業者と共に、最初に現場に足を踏み入れる。そこにはいつも、遺族すら入ることを嫌がる凄惨な死の現場が広がっていた。床には白い蛆がニョロニョロと這いまわり、無数の蠅が顔にぶつかってくる。そして、思わず吐き気を催すようなまとわりついて離れない甘ったるい死臭に、こげ茶色の人型の体液――。
私は、物件に入るとなるべく息をしないようにして、業者とともに時には壁紙を剥がし、どろどろになった体液をふき取るなどして、その過酷な清掃作業を手伝った。
そんな現場を数えきれないほど経験してわかったのは、これまでの私と同じように様々なものに絶望し、その場に崩れ落ちるしかなかった無数の人たちが、世の中にはごまんといるという事実だ。お部屋にはその人の「生」と刻印された「生きづらさ」の痕跡がある。それを見ていると、こんな世の中でいいのかという気さえしてくる。
だから、私はそんな現状を目の当たりにして、世の中に伝えずにはいられなかったのだ。
彼らがどれだけ過酷な環境で、孤独に命を繫いでいたか。それを遺族さえも知らないまま、ひっそりと誰にも看取られずに、死んでいく。社会から隔絶された彼らは、死後長期間放置される。確かに他人である隣人たちにとっては、いい迷惑だろう。死後、「くさい」「迷惑だ」と鼻つまみ者にされる。
それだけではない。彼らはまるでその存在すらなかったかのように、「処理」され、床は張り替えられ、何事もなかったかのように、その物件に新たな入居者が入ってくる。私は、そんな現実に耐え切れなかったのだと思う。
CDと本のタワーに囲まれ孤独死した50代男性
孤独死現場は、ごみやモノがあふれた家、猫屋敷などの物件も多い。孤独ゆえに、ごみやモノを収集したり、世話できないほどの数の犬や猫を飼い、心の隙間をなんとか埋めようとする。
印象的な物件がある。ある50代男性は、まるで自宅を要塞のように固めていた。
大好きな推理小説、そして、ヘヴィメタルのCDがそこかしこでタワーのように積まれ、そびえていた。しわだらけの青いストライプの敷き布団がその真ん中にあって、タワーは彼を守っているかのようだった。彼は、キッチン前で息絶えていた。体はぐちゃぐちゃに溶け、床下まで浸透し、白い蛆の蛹がうごめいていた。どの窓も締め切っているせいか、部屋中かびだらけで湿っぽかった。
ご遺族によると、あまりに時間が経ちすぎて彼の遺体は目玉が溶け落ち、死因も不明だったという。
彼の生い立ちを聞くと、どうやら父親から激しい教育虐待を受けて育ったらしい。教育虐待なんて言葉も全く浸透してなかった時代だ。成績が下がると父親に「音楽を聴きながら勉強なんか頭に入るものか!」と怒鳴り散らされた。それでも彼は、大好きなヘビメタのCDを狂ったように収集していた。
親の希望通り、国立大学を卒業後、一部上場企業に就職。しかし会社でミスをし土座下を強要されたのをきっかけに、数年で退職した。それから30年間にわたってこの自宅に引きこもり、貯金を切り崩して食いつないでいたらしい。
彼の部屋を見た瞬間、彼は自らを守るために、要塞を築いたのだと思った。
ここにはもはや、自分を傷つける者は誰も存在しない、ここは生まれる前の母親の胎内のような最後の安息の場所だ。そう、この部屋は社会とは隔絶した島宇宙でもあった。
自分の心を引き裂くような親も、自分を貶めようとする会社の人もここにはいない。彼はたった一人、都心の1DKのアパートという無人島に引きこもり、サバイバルしていた。そして毎日、本とCDで囲まれた城壁を見ながら、30年間を生き抜いた。彼の居場所はここしかなかった。実家にいる父に退職したことを告げたら、激しく罵られるだろう。そう、あのときみたいに――。父親がいる実家に帰るわけにはいかない。
歯が抜け落ち体がぼろぼろになっても彼は要塞にひきこもる
だから、彼はここにひきこもるしかなかった。彼は来る日も来る日もそそり立つタワーを見つめ、ただ同じ毎日を過ごした。床に無数のCDと本が転がっていて、道をふさいでいる。
孤独は人をじわじわと蝕んでいく。それでも、人は一人では生きていけない。ご遺族によると、彼の歯は全て抜け落ち、体はボロボロでまるで老人のようだったという。だけど、彼には病院に行くという発想すらなかった。だってここは、孤独な無人島だからだ。壁一つ隔てた先には隣人がいる。しかし、彼にとって隣人はいないも同然だったのだろう。隣人は、言葉が通じない異邦人のようだ。外界は敵だらけ、そう、親ですらも――。
だから彼は一人で生きていかなければならなかった。
彼は、本とCDに囲まれて、布団の中で来る日も来る日も眠り続けただろう。好きなものに囲まれて、今にも壊れそうな自分を守っている。
いつしか自らの体から、すさまじい異臭が漂ってくるのに気がついた。部屋がごみで溢れているため、エアコンはとうの昔に壊れて使えない。風呂窯を洗う気力すらないため、風呂には入れない。だけど、この要塞が壊れるときは、彼にとっては自分自身がガラガラと音を立てて壊れるときだ。だからそれが怖くて、ただ一日一日命を繫ぐので精一杯だった。
冬の寒さより、夏の暑さのほうがこたえる。寒さは布団に丸まれば何とかしのぐことができる。しかし夏の暑さは手の施しようもなく、その命をも脅かす。孤独死が圧倒的に夏場が多いのは、そのためだ。
これだけインフラが整った日本であるにもかかわらず、彼が社会から孤立し、果敢にたった一人でサバイバルしていたのは明白だった。彼が外に出るのは、自分を守る城壁の一部となるCDと本、わずかな食料を買いに行くときだけだ。
しかし、要塞の壁ははく落し、いつしか自らの足元へと広がり、寝る場所さえ侵食して溢れていく。そして、隣の部屋に行くことすら困難になっていく。彼は自分の命を守っていた要塞、そのものに呑み込まれつつあった。だけどそれが彼の支えである以上、手放すことなどとてもできなかった。
暑さにどうしても耐え切れない日、彼は冷蔵庫を全開にして、裸になってクーラー代わりに抱きしめて過ごした。だけど、彼は思っていただろう。今年はやけに熱い。連日40度近くに達したとニュースでやっている。
この暑さはいつまで続くのだろう。汗が止まらない。くらくらとする。意識が遠のいていく。吐き気がする。思わず倒れ込んでしまう。足も手も動かない――。最後、彼の目に映った光景はなんだろうか。
それは、天井に届くほど積み上げたタワーが、自らの重力によってガラガラと音を立てて崩壊していく姿だったのかもしれない。
親という重しをつけた私たち 孤独死した彼を蝕んだ「呪い」
彼は50代という若さで、命を落とした。凄まじい暑さが連日続いた真夏のことだ。恐らく、死因には暑さが関係しているはずだ。灼熱地獄が彼の命をまざまざと奪っていった。
そんなことを思いながらも、目の前の清掃作業は着々と進んでいく。ただそこにいるだけで汗が吹き出て、首に巻いたタオルは滝のようにぐっしょりとしているのがわかる。こんなジャングルのような部屋の中で、彼は30年もなんとか生きていたのだと思うと、胸がしめつけられる。
特殊清掃業者の丁寧な仕事ぶりは圧巻だ。彼の生きた痕跡はあっという間に無くなっていく。フローリングの下まで達した体液は強力なオゾン脱臭機と特殊な消毒液で消され、丁寧に拭きとられる。そして、彼の命の灯だった本とCDはトラックいっぱいに詰め込まれ、あっという間に古本屋に運ばれていった。彼を支えていた城壁の一部は、今頃店頭に並んでいるのかもしれない、と思う。
要塞が瞬く間に崩れ、どこにでもある何の変哲もない元通りのアパートの一室へと再生し、ピカピカとなっていく。30年間ずっと締め切っていた窓が開き、心地の良い風が抜けていくのが防護服越しにわかる。
私は、一通りの片付けが終わると、アパートを後にした。もはや要塞は跡形もない、普通の部屋。それをみるとホッとする反面、彼がこの地上から消えてしまったように感じて、なぜだか心が押し潰されそうになってしまう。
私はいつも孤独死物件で、きれいになった部屋を見て、思う。あなたの魂、そして思いはいったいどこに行くのだろう――。あなたが生きてきた痕跡は、このまま「何もなかった」ように再生されてしまうの――?
現場から帰宅すると、私は防護服の隙間から入ってきた体液の臭いを落とすために、頭からシャワーを浴びる。そして、洋服の全てを洗濯機に入れ、スイッチを押す。鼻の奥までこびりついた死臭を消すために、鼻洗浄をする。
そして誰もが寝静まった深夜、私は再び、彼と向き合う。
遺族に聞いた彼は、世の中に絶望し、硬直し弛緩しきった表情のよれたシャツを身にまとった中年男性だ。
私も彼もきっと知らず知らず「生きづらさ」という重しを背負っていた。体中から重しをぶら下げていて、それが体の自由を奪い今にも崩れ落ちそうになっている。重しの多くは、きっと「親」によってつけられたものだ。そういった意味で、私たちはどこか似た者同士で繫がっている。だから私は思うのだ。もしかしたら私は彼で、彼は私だったかもしれない、と。
「色気を出しなさんな、気持ち悪い」 母の言葉はいまも私を縛りつける
ご遺族に聞いた彼の話を手繰り寄せる。彼にも少しだけ華やかな時代があったという。それは学生時代に彼がアルバイトで塾講師をしていたとき、彼は女子生徒に人気だったらしい。夢の中に現れた彼はそのときのように、少しはにかんでいるようだった。私は夢であることも忘れて、彼に必死に語り掛ける。
「あなたは、これまで一人でずっと頑張ってきたんだね。私はそれを知っているよ」
無表情な能面のような50代の彼の顔ではない。真新しい音楽と本に囲まれて、得意げな塾講師時代の彼。バイトしていた塾で、女子生徒にキャーキャーと慕われていたときの彼――。その彼が、ふと私の面前に浮かび上がってきて、にこやかに語りかけてくる。
「そうだね。あなたも、もう自由になってもいいんじゃない。あのティースプーン、欲しいんでしょ」
彼が何もかもお見通しといったふうに言葉を返す。ドキリとする。
「うん。欲しい、ずっと、欲しかった」
少女の私が答える。生きているときには一度も会うことはなかった、彼。きっと街ですれ違うことすらなかった彼。それでも同じ時代を生きた彼。同じ傷を抱えた彼。そんな彼がいつしか誰よりも近い存在に思えている。
彼が夢で発する言葉は、何より私自身の内なる願望なのかもしれない。それでもいいと思う。自分自身を肯定することの大切さを、彼は気づかせてくれたのだから。
いつも押し殺していた、少女時代の自分。思えば私の母は、女である自分を異様に呪っていた。そして、母は同性である私に同じ呪いをかけたのだと思う。
私は小さい頃から、髪型をショートカットにされ、男物のズボンを穿かされて育った。だけど本当は、かわいい女の子になりたかった。
かわいいスカートを穿きたかった。髪をロングに伸ばしてフワフワにカールさせた、あの子みたいになりたかった。誰からも「かわいいね」って言われたかった。だけど、我慢していた。「お姉さんなんだから、我慢しなさい」「色気を出しなさんな、気持ち悪い」
そんな母の言葉は今も私をがんじがらめにしている。いつまでもまとわりついて離れようとしない。
現実の私は、もうくたびれた中年女性だ。だけど、もういいのかもしれない。あの少女の自分を、ありのままに受け入れてもいいのかもしれない。だって今の私は、本当は誰にも縛られてなどいない――。
夢の中の彼は、それを私に教えてくれたのだ。
自分の中の少女を殺さなくていい 自分自身を取り戻し修復していく
私はある日、意を決してあの雑貨屋に入った。金色のティースプーンはまだあの場所にあって、変わらずキラキラと輝きを帯びている。いつも眺めているだけだったティースプーン。思い切って手に取って、レジに運んでみる。「かわいい」レジ店員が、とびっきりの笑顔で、ティースプーンを袋に入れてくれた。
――もう大丈夫。かわいいものを諦めなくてもいいんだ――
繊細な細い柄をした金色のティースプーン。それは、今、確かに私の目の前にある。それはようやく私の部屋の一部となり、自然に溶け込んでいる。
真ん中に埋め込まれたラインストーンが反射して、キラリと光を放つ。ずっと私に似合わないのだと我慢していたもの。だけど、かわいくてときめいたもの。ずっと欲しいと思っていたもの。普通のスプーンより、一回り小さく華奢でキラキラ輝くそのティースプーンは、まるで金属などではないようにふわりと軽い。それは、私がずっとなりたかった少女の幻影そのものなのかもしれない。それに比べて、ひたすら重い、私の体と心。それを私は手放せるのだろうか。
ティースプーンは、何かの景品で当たった10年物のマグカップとは不釣り合いだ。それでも私の中の少女は無邪気に、そして嬉しそうに目を輝かせている。
「ねぇ! これ、すっごくかわいいね!」
もう一人の私が、心の中でそうつぶやく。
「うん、かわいいね」
二人の自分がそう言葉を交わすと、すっと一つに交じり合うのがわかった。それは、ちぐはぐだったバランスが回復していくような感覚だ。もう、自分の中の少女を殺さなくていい。少しだけ呼吸が楽になり、ふっと息を吐きだす。私は、いつしか泣いていた。そして、気づいた。ようやく私は抑圧していた自分自身を肯定しつつあるのだ、と。
反目してあっていた少女と私が融合することで、苦しみから解き放されつつあるのだと。
人生とはそうやって、傷を受けた自分自身を少しずつ取り戻し、何とか修復していく作業なのかもしれない。それはかけがえのない他者という存在によってかもしれないし、ふと目の前に現れた小さなティースプーンによってかもしれない。
回復できなかった無数の「彼ら」 崩れ落ちる前に繋がれたら
だけど私は、思う。自ら回復することすら困難なほど傷つき、地面に崩れ落ちてしまったたくさんの人々のことを。要塞を築くしかなかった無数の「彼ら」のことを。
私は孤独死の取材において、そんな人たちと向き合ってきた。孤独死の背景には、社会的孤立がある。「彼」のように、ただ自らの重みによって、その場にうずくまるしかない人たちがいる。
彼らはその存在すら知られず、時には無縁遺骨となって、人知れず埋葬されたりもした。遺族もおらず、たとえいても現れることなく、死んでもなお社会から孤立している人たちがいた。私は、彼らの「代理人」となって、まだほのかに温かさを持つ遺骨を持って、火葬場で佇んだこともあった。
私は「彼」のように、そんな人たちと亡くなってから、初めての出会いを果たしてきた。亡くなってからしか、出会うことができなかったのが歯がゆい。そしてそんな社会が、この世の中が、やるせない。人が言葉なく崩れ落ちてしまう社会で、果たしてそれでいいのだろうか。だれだって一人で這い上がるのは、困難なときもある。だからできることなら、彼らとも命あるうちに出会い、繫がり、語り合いたかったと思う。だって、たった一人で、その重さと向き合うには、あまりに辛すぎるから。それを私は痛いほどに知っているから。きっと私たちは、繫がれるから。
自分に押しつぶされる前に、命の灯が消える前に、自分にまとわりついて離れない鉛のような重さから、誰もが少しでも解放されるような社会であって欲しい、と切に願うのだ。