ドラマ『湯あがりスケッチ』第4湯目は、タカラ湯の常連さんが「タカラ湯は万病に効く」と根拠のない噂話を始めたところから始まる。病に効能があるといわれる薬湯について興味を持った穂波が、銭湯“梅の湯”を訪れるというストーリーだ。私は梅の湯の店員として出演することになった。
 ドラマ化が決まった当初から、どこかのシーンで出演して欲しいというオファーをもらっていた。いや、恥ずかしいからいいですよwと遠慮していたが、正直まんざらではなかった。だって原作者が映画に出るやつめっちゃ憧れるじゃん!!
 最初は小杉湯の番台として出演する予定が、ドラマ全体のバランス感をみて他のシーンで出演することになったのだが、いや、なんで小杉湯じゃなく梅の湯なんだ。
 私は、穂波に梅の湯を案内し、薬湯「実母散」を紹介する役だ。実母散は元々婦人薬を元に作られた入浴剤で、女性の冷え性やリウマチや神経痛などにも効果がある。その効能をガッツリ説明するセリフが台本にあって、途端に緊張が走る。
 えぇ、これ自然な感じで、言うのぉ……?
 お気楽だった気分も一転、自分も演じる身になることを改めて自覚して慌てる。台本を何度も読み込んで、壁に向かって芝居をしてみる。目の前に穂波がいるかのように、身振り手振りをして……ああ、恥ずかしい!!
 やり切らなくてはという責任感、肥大化する自意識、押し寄せる羞恥心。出演当日の朝、飄々とした体で現場に入ったが、内心ゲボ吐きそうだった。

 本番前に、まずはカメラマンや監督とセリフや動き方などを確認していく。
「自然な感じを撮りたいのでアドリブ多めにしましょう!」という提案にちょっとホッとしたが、いやアドリブこそ難しいんじゃないの!? と違う緊張が爆誕する。
 穂波を連れて浴室に入り、穂波の質問にアドリブで答えていく流れだが、当然梅の湯の人ではないので細かい年数などで言い淀む。ということで、急遽店主である栗田さんにも加わってもらい三人のシーンとなった(栗田さん、徹夜明けの大変な時にも拘わらず本当にありがとうございました)。
 いよいよ本番だ。番台に座り、タオルを畳みながら穂波がくるのを静かに待つ。バクバクに心臓が跳ね上がって胸が痛い。
 穂波の姿が目に見えてからは、もう無我夢中だった。心の中では滝のように汗を流していたが、必死に余裕があるフリをしながら笑顔で案内する。脱衣所を抜け、浴室を通り、薬湯の前に立って、必死に練習してきた6行にわたるセリフも卒なく言えた。緊張で意識は飛び、なんとか口を動かしていたが、気づくと「カット!OK!」という声が飛んでくる。
 え! 本当に大丈夫ですか!?
 めちゃくちゃ不安な気持ちでモニターを見ていた監督の元へ行くと「いや〜すごい自然な感じで最高でした! 女優になれるね!」と笑顔で迎えてくれた。それは流石に言い過ぎだろと思いつつ、役目を無事に終えて疲れがドッとでた。数分でこんなに疲れるなんて……。これを1日中こなしている俳優さんたちは本当にすごい。
 自分が出演したシーンの映像を見せてもらうと、謎のドヤ顔で鼻を膨らませながら滔々とセリフを読み上げる自分がいた。あまりにも恥ずかしすぎる、死にたい。『どうか放送は数秒でありますように……』と祈りつつ「いい感じですね! ありがとうございます!」と元気よく返事をしておいた(後日、恐る恐る放送をみるとガッツリ使われていて顔から火が出た)。

 

 

 1ヶ月ほど続いた撮影も大詰め。
 撮影最後のシーンは、最終回で穂波と親友の朋花が居酒屋で語る場面だった。私は二人がいるテーブルから少し離れた居酒屋の入口付近で、監督の背中越しにモニターを眺めながら見守っていた。撮影中の監督はモニターを眺めながら、顔を曇らせたり、笑顔になったり、考え込んだりと、まるで百面相のよう。ちなみにやり直しの時は、いても立ってもいられないと言わんばかりに足をバタバタさせていて、少しかわいい。
 そうして何テイクかを重ねたころで、モニターを見つめていた監督がニヤッと笑顔を浮かべ、ヘッドフォンを外して席をたった。いつもならカット! と言い放つのに、無言で撮影現場の方へとふらりと姿を消す。
 え、どこ行っちゃったの??
 不安な気持ちでモニターを眺めていると、なんと穂波たちの席の隣に乱入していた。そして、さもお客さんの一人かのように二人と少し話したあと「クランクアップお疲れ様ーーー!」と唐突に終わった。こんな愉快なクランクアップある??
 監督のお茶目さに笑ってしまった。周りのスタッフさんも笑顔で、改めて、中川監督に撮ってもらえてよかった。心からそう思えた。

 12月末に収録を終え、2月3日に『湯あがりスケッチ』の放送が開始された。事前に台本に目を通していたし、撮影現場へ何度も見学にも行っていたけど、放送までは自分がドラマ化されたという実感はイマイチ湧いていなくて他人事のようだった。
 しかしそんなフワフワした気持ちは、初回の冒頭の一分半で打ち砕かれた。タカラ湯の裏手で目を覚ました穂波が、浴室に吊るされている銭湯図解の中を歩いていくシーン。私の描いた無数の絵たちが、ドラマの中で生きている。それを目の当たりにした途端、涙が溢れ出た。「本当に私の物語が映像化されたんだ」と、今に至るまでの思い出が脳内を駆け巡った。
 幼い頃から絵が好きだったのに、さらに上手な転校生に鼻をへし折られたこと、絵を描きたい思いはありつつ就職先でうまく活かせず体調も壊してしまったこと、銭湯の絵をきっかけに小杉湯に転職したこと、小杉湯で働く日々で絵を描くことに自信をもち直し、もっと沢山の絵を描くために独立したこと。今までの人生が、このドラマに繋がったのだ。
 無数の銭湯図解が映し出されたシーンは、私にとって人生のトロフィーのように見えた。順風満帆とはいえない人生だったけど、その度にもがきながら頑張り続けてきて、本当によかった。よかったなあ。

『湯あがりスケッチ』の放送を毎週心待ちにしていた。設計事務所から銭湯の番頭への転身を描くだけでなく、タカラ湯に訪れる人々と交流し、銭湯で出会った人々の人生を垣間見ながら、穂波は一歩一歩成長していく。
 第1湯を見た時、「これは私の物語だ」とハッキリと思った。しかし回を重ねるごとに、穂波と私は違う部分があると感じるようになってきた。例えば、タカラ湯の娘であるゆづ葉ちゃんが家出をした時に、穂波は家に迎え入れて理由も聞かずに優しく受け止めた。きっと私なら、受け止められずお父さんに連絡していたと思う。合コンの雰囲気を楽しめない穂波。私ならめちゃくちゃ楽しむか、途中で体調を理由にして帰っていた。本を出すことを提案されて言い淀む穂波。私は身を乗りだして出しましょうと言っていた……。
 少しずつ私と違うなと思う部分が増えるにつれて穂波が離れていくのを感じた。

 そして湯あがりスケッチは3月25日に最終回を迎えた。編集者の灯子から、銭湯のイラストを本にまとめることを提案されたが、穂波は答えに迷う。イラストを描き続けたいが、それを仕事にするとは考えていなかった。それに、本を出したら銭湯で働く日常も変わるかもしれない。穂波は返事を先延ばしにし、タカラ湯メンバーの熊谷や朋花に相談しながら答えを導き出す。穂波は、絵も続けるし、銭湯で働くことも決めた。いわゆる、“番頭兼イラストレーター”という二足の草鞋を履いていくことを決めたのだ。
 その答えを導き出した彼女を見て『これは塩谷歩波ではなく澤井穂波の物語だった』とハッキリ感じた。
 私も“番頭兼イラストレーター”という二足の草鞋で活動をしていたし、本を出してからもその肩書きで小杉湯で働いていた。しかし穂波と違うのは「全部やりたい」というより「決められない」気持ちの方が大きかったのだ。拾ってもらった恩を小杉湯に返したい、でももっと沢山の絵も描いてみたい。
 どちらか一つを選べないまま、その二つの気持ちで揺れ動き続け、体調を崩すことにもなってしまった。
 そう思うと、やっていることは同じでも穂波の考えは全く逆だ。でも、そこにネガティブな感情は全くない。むしろ育てた子供が大きくなって自立していく姿を見ているような温かな気持ちになった。
 きっと第1湯の穂波だったらこんな答えには辿り着いていないだろう。様々な出会いを通して、穂波は人として成長をした。同時に、絵を描く人生を選んだ私も成長したんだなあと思う。私だって、第1湯の穂波のような時があった。私たちは入口は同じでも、成長してそれぞれの生き方を選んだのだ。そこに優劣はない。だからこそ、私は分身であった穂波が健やかに成長したことが、自分のことのように嬉しく感じられるのだ。

 今、私は新たな絵の仕事に向けて準備を整えている。3万坪もの敷地をもつホテル、シェラリゾート白馬を図解するのだ。銭湯の建物がまるっと15個以上は入る途轍もない大きさで、正直竦み上がってもいるが、大作に挑めるワクワク感の方が圧倒的に大きい。
 ドラマが終わった後も、なんだかどこかの銭湯で穂波は生きているような気がする。そんな彼女が「そっちの歩波さんもかっこいいね」と言ってくれるような、大作を描き上げたいと思っている。

 

(了)