2020年4月、中川龍太郎監督からLINEが届いた。ちょうど小杉湯の裏手で絵を描いていた時だ。“塩谷さんのストーリーをドラマ化したい”という文面に筆をぶん投げた。親しいプロデューサーから私を題材にしたドラマを提案されたので、企画書を作っていいかという連絡だった。まさか自分の半生が映像化されるなんて驚いたけれど、それ以上に中川さんが撮ってくれることが飛び上がるほど嬉しかった。
 中川さんと初めて会ったのは、映画『わたしは光をにぎっている』のPRイベントが小杉湯で行われた時のこと。廃業する銭湯を舞台にした映画で、流されるまま生きていた女性が銭湯での出会いを通して逞しく成長していく姿が描かれている。銭湯の建物やお湯の表現が繊細で美しく、さらにお客さんにもリアリティがあって、本当に銭湯が好きな人が撮ったんだなと思った。
 心が震えるシーンは幾つもあるが、何より印象的だったのは、湖と山々や銭湯がある街の風景を数秒間撮ったシーン。ナレーションもなければ人もいないのに、主人公や銭湯に関わる人々の心の動きをたっぷりと感じられて、言葉がなくとも心を通わせられるのだと、表現者の一人としてとても感動したのだ。そんな人が、私の半生を撮ってくれるなんて……嬉しくない訳がない。

 とはいえ、まだ企画の段階。期待しすぎずのんびり報告を待とうと決めた。それから、体調を崩してまた休職したり、小杉湯を退職したり、絵描きとして独立したりと劇的な出来事が立て続けに起こるうちに、突然話が動き出したのだ。独立したてで不安な時期だったので、神様がそっと背中を押してくれているような気がした。

 そこからはトントン拍子で話が進んだ。初めに、プロデューサーさんやディレクターさんからドラマの趣旨やストーリーを伺った。
 設計事務所から銭湯に転職した“澤井穂波”が、取材のために色んな銭湯を巡りつつ、そこで出会った人々との交流を描く、私の体験をモチーフにしたヒューマンドラマになるらしい。穂波が働く銭湯を中心としたレギュラー陣との心のふれあいも描かれるそうだ。登場人物には「小杉湯のこの人がモデルかも」という人もいれば「完全オリジナルだな」という人もいて、実話をベースにしつつオリジナルの筋も混じっていいなと思った。余りに私のプロフィールに近すぎると色んな整合性が気になってしまうし、フィクションすぎるとどうしても思いが入りづらい。その曖昧さが楽しめそうだと感じられた。

 穂波が働く銭湯は小杉湯の予定だったが、週に一度しかない定休日は既にイベントや撮影の予定などがいっぱいで、継続的にドラマ撮影をするのは難しく、他の銭湯を探すことになった(代わりにOPに登場する形になった)。とはいえ、長く場所を貸してくれる銭湯はなかなかなく、セットを組むか今はおやすみしている銭湯を借りるかなどロケ地探しはしばらく難航していた。
 傍目で見ている私もなんだかソワソワし始めた頃、スタッフさんから「舞台はタカラ湯になりました」との連絡があった。
 タカラ湯は、北千住に遊びに行った時に訪れた記憶がある。下町らしい雰囲気にあった賑やかな銭湯で、建物も大きく撮影には確かにピッタリだ。それに、なんと言ってもタカラ湯といえば縁側の美しさだ。男湯の脱衣所側に大きな縁側があって、そこから日本料亭を思わせる立派な庭と大きな鯉が泳ぐ池を眺めることができるのだ。そこをバックに撮影なんてさぞ映像は美しくなるし、きっと中川さんも縁側を見て“撮りたい!”という衝動に駆られてしまったのだろうなあと、一人でクスリと笑ってしまった。

 ロケ地も決まったところで、穂波役を演じる女優の小川紗良さんや中川さんとタカラ湯で顔合わせを行うことになった。
 ドラマが始まる高揚感に包まれながら、小川さんはどんな方なんだろうと、ちょっと緊張しながら北千住へ。タカラ湯に着くと、縁側に近い長机に既に小川さんも中川さんも席についていた。小川さんとは初対面だったが、ひと目見て『銭湯が似合う人だなあ』と思った。大人しい印象の中に芯を感じられて、銭湯の常連さんたちに可愛がられつつも優しく見守る姿が、不思議なことに目に浮かんだのだ。
 中川さんとスタッフさんを交えて今後の撮影についていくつか確認をしたあと、小川さんと二人で話す時間をもらえた。小川さんは女優の他に、映像作品の監督をしており、小説やエッセイなどの文筆活動もしている。最初は緊張で辿々しい話しかできなかったけれど、ものづくりの話になるとお互い饒舌になって、産み出す時の苦労や制作中の孤独感、完成した時の爽快感なんかを「わかるわかる」と分かち合えて、『この人なら大丈夫』と肩の荷がおりたような気持ちになった。

 

 

 正直、ドラマ化に対して不安な気持ちも抱えていた。設計事務所を休職してから銭湯に転職したストーリーは多くの人の心を打つキャッチーさがあるが、見方を変えれば設計事務所を悪者にしかねないし、銭湯をコンテンツとして消費されかねない危うさがある。私は、「将来の夢を見失ったり自分の価値が見いだせなくなったりした人に勇気を与えたい」とメディアに出るようになったが、先のような危うさに結びつかないように、常に言い方などに注意を払っていた。
 けれど小川さんと話して、ものづくりに愛情を注いでいることや、銭湯が元から好きだったこと、さらに思慮深い振る舞いを見て一気に安心した。気持ちが通じ合っている小川さんなら、銭湯の良さを分かりきっている中川さんなら、きっと大丈夫だ。不安はなりをひそめ、ワクワクしながら撮影を待つだけとなった。

 私が初めて撮影現場に伺ったのは、穂波がタカラ湯の浴室を実測する、第1話の中盤のシーンだ。クランクインの小杉湯を撮影する日にも伺う予定だったが、直前の仕事を張り切りすぎて知恵熱を出してしまい参加できなかった(知恵熱って子供が出すものじゃないのか)。実測風景にリアリティを出すため、ぜひ塩谷さんに実測の指導をお願いしたいという依頼があったのだ。

 朝8時。タカラ湯前に到着すると、既に穂波がタカラ湯に入るシーンのリハーサルが行われていた。穂波の衣装で颯爽と歩く小川さん、その後ろについていきながら撮影をするカメラマンさん、周りで誘導灯を持って通行人を整理するスタッフさん。撮影が始まったことを改めて感じ、背筋がシャンとした。

 穂波は設計事務所の仕事に疲れ切っていた時、大学時代の友人に誘われてタカラ湯を訪れる。湯の温かさや人々の様子に癒され感動し、タカラ湯の魅力を描くため浴室を実測するという流れだ。ちなみに、私が初めて銭湯図解を描いた時は実測なんかしなくて、ネットに上がっている写真を見て勘で描いていた。穂波ちゃんはそのあたり真面目な子のようで感心する。

「塩谷さん、実測の指導をお願いします!」スタッフさんに呼ばれ、測量道具を持っていつものように動いてみる。まず、浴室のだいたいの広さをレーザー測定器で測って、それからメジャーでカランを測り、その数字をメモして……。30人以上のスタッフさんに見つめられながらの実測はやりにくいし、なんか恥ずかしい。けれど「すごい」「かっこいいですね」と褒められながら真剣な眼差しで観察されるのが嬉しくて、いつも以上に無駄のない動きを心掛け、サクサク実測をする。今思い出すと確実にドヤ顔だったと思う。

 

 

 小川さんに実測の動きを試してもらい、少しアドバイスも挟んで本番へ。
 浴室のドアを両手で開け放ち、富士山の壁画や浴室の光に一度目を向けてから、サコッシュに入れられた測量道具を取り出して浴室の大きさを測り始める。一度指導しただけとは思えないほど、無駄のない動きだった。測るポイントを鋭い視線で見やり、レーザー測定器とメジャーを自在に扱う姿は、純粋にかっこいいなと感じた。実測なんてもう5年も続けているので、私にとってはご飯を食べることや洗濯をするのとほぼ同じだから、褒められても「何いってんだ?」と逆に質問を返すこともあった。自分の姿をこうやって外から見られるなんて不思議だなと思いつつ、“塩谷さんがやっていることは、こんなにかっこいいんですよ”と監督や小川さんに言ってもらえているような気がして、胸の奥にじんわりと温かいものが広がり少し泣きそうになっていた。

 嬉しさとむず痒さがありつつ、現場に行けない日もスケジュールを見ながら撮影風景を想像して毎日ワクワクしていた。だから、数日後に自分が演じる側に回ることを、この時はすっかり忘れていたのだった。

 

(第20回へつづく)