人物紹介

仁美…高校二年生。町の祭りで起きた無差別毒殺事件で母を亡くす。

修一郎…高校一年生。医学部志望の優等生。事件で妹を亡くす。

涼音…中学三年生。歳の離れた弟妹を事件で亡くす。仁美たちとは幼馴染。

景浦エリカ…涼音の母。派手な見た目と行動で町では目立つ存在。

仁先生…仁美の父親。町唯一の病院の院長。

成富栄一…大地主で町では一目置かれる存在。町内会長も務める。

博岡聡…成富建設の副社長。あだ名は「博士」。引きこもりの息子・聡介を家に抱えていた。

音無ウタ…息子・冬彦が真壁仁のせいで死んだと信じこんでいる。

琴子…息子の流星と姑のウタと同居している。元新聞記者。

流星…小学六年生、ウタの孫。修一郎の妹と仲が良かった。

宅間巌…かつて焼身自殺した町民。小学生の間では彼の幽霊が出ると噂されている。

第二十五話

 

 仁美は斜め向かいにあるメーメー公園へ、死に物狂いで走った。
 つばさ、どこ? お願い、無事でいて。
 外灯はあるものの、夜の公園は暗い。
 再びキャーッと声が上がり、暗がりに顔を向けると、大きな男に追いかけられている幼女の姿が目に飛び込んできた。
「つばさ!」
 地面を蹴って駆け寄った仁美は、つばさを抱き上げ、懸命に男から引き離す。
「ママ、痛い!」
「仁美ちゃん!?」
 つばさと誰かの声が重なり、仁美は足を止める。名前を呼んだのはそこにいる大男ではなく女性だったからだ。振り返ると、外灯に照らされた美しい顔が浮かび上がる。
 仁美はつばさを抱きしめたまま、へなへなとその場にしゃがみ込んだ。
 歩み寄ってくる女性は麗奈で、そばに立つ大男が武蔵だとわかったからだ。
 そのとき、一台の車が公園脇で急ブレーキをかけ停まった。
「麗奈! 武蔵も、おまえらなにやってんだ!?」
 怒鳴りながら車から降りてきた守が、麗奈たちに詰め寄る。
「ったく、いくら電話しても出やしねぇし」
「守君、なにそんなに怒ってんの? 電話なんて気づかなかったよ。麗奈たち、つぅちゃんとここで鬼ごっこしてたんだもん」
 ねぇ、とつばさに微笑みかける麗奈に、守はさらに声を荒らげた。
「ふざけんなよ! 修一郎の母親が泣きながら電話してきたんだぞ。つばさがいなくなったって。麗奈を迎えに行った武蔵がなかなか帰ってこないから、もしやと思って来てみれば案の定……」
「ええっ!? 嘘、麗奈たち、この子が夜道をひとりで歩いてたから、危ないと思って車で連れてきてあげたんだよ」
 東京から帰省した麗奈は迎えに来た武蔵の車で帰る途中、つばさを見かけ、仁美の家まで送ってきたということらしい。留守みたいだったので、誰か帰ってくるまで公園で遊んでやっていただけだと麗奈は唇をとがらせる。
「だったら、仁美に連絡しろよ!」
「だって、仁美ちゃんの携帯番号なんて知らないし」
「麗奈、おまえ、親がどんなに心配するか……」
「守君、もういいよ」
 ようやく息が整い、喋れるようになった仁美は、守を止めた。
「追いかけっこして遊んでくれてただけだったんだね」
「うん!」とつばさが笑顔を見せる。「つぅちゃん、鬼ごっこと、あと、麗奈ちゃんとしりとりしたの! 『ともだち!』って」
「楽しかったよねぇ、つぅちゃん」
「おい、麗奈、いい加減にしろよ! 仁美、悪いな。よく叱っておくから」
「ううん。麗奈ちゃん、武蔵、つばさを送ってくれてありがとう」
 つばさが無事に戻ってきてくれたのだから、それ以外のことはもうどうでもいい。
 でも、こんな恐怖を味わうのは二度とごめんだ。腕の中のやわらかであたたかなこの存在だけは、命に代えても守らなければ──。
 翌日は気持ちよく晴れ、十年ぶりの祭りを祝福するようにどこまでも青く澄んだ空が広がっていた。
 芋煮の仕上げをする仁美のそばで、小さなはっぴを着たつばさが朝から元気いっぱいにはしゃぎまわっている。
「つばさ、危ないから、火のそばで遊んじゃダメだってば」
「だって、つぅちゃん、早くおみこしやりたいんだもん。わっしょい、わっしょい!」
 ぬいぐるみを神輿代わりに担いで飛び回る愛らしい姿に、仁美も思わず目を細める。
 二階から下りてきた修一郎の顔も、つばさを見た瞬間、とろけるようにほころんだ。
「つばさ、わっしょい、上手だなぁ。でも、ちょっとだけ静かにしようか、じいじ、ねんねしてるから」
「じいじ、ねぼすけさん? つぅちゃん、『じぃじ、起ーきーて!』してくる?」
「じいじはお熱があるから、寝てなきゃダメなんだよ」
「えっ? じいじ、おまつりわっしょい、行けないの?」
「うん。代わりにつばさがわっしょいしてる写真いっぱい撮ってきて、あとで見せてあげよう」
「わかったっ!」
「つばさ、しーっ」
 修一郎が口の前に人差し指を立てると、つばさも真似して「しーっ」と声を潜めた。
「熱下がってなかったから、解熱剤呑んでもらった」と、修一郎は仁美を振り返る。
「ありがとう。昨日も助かった。遅くにごめん」
 昨夜、棚橋老人が一命を取りとめたと連絡してきた修一郎に、父の具合が良くないと伝えると、義母の家から様子を見に来てくれたのだ。
 熱以外に症状はないから、心因性の発熱ではないかと、修一郎は話す。
「祭りが近づいて、つらい記憶を思い出し、ストレスがかかったのかもしれない」
 仁美はうなずいたが、心因性だとすればその原因は、祭りよりも聡介だろう。金を貸してもらえないかという聡介の伝言を伝えたとき、父はその意味をちゃんと理解したはずだ。具体的な金額はまだ聡介から聞かされていなかったが、父は自分の通帳をすべて仁美に手渡したからだ。そして、「これで済めばいいが……」とつぶやき、父はまた捜し始めた。例の箱を。
 鍋に農薬を入れた真犯人を思い出した聡介が、なぜ警察に知らせないのか不思議だったが、彼の目的は金を強請り取ることだったのだ。だとすれば、父の懸念どおり、おそらく一度では終わらず、その先も毟り取られ続けることに……。
「ママ、聞いてる?」
「……えっ?」
「仁先生もだけど、ママも大丈夫か? 顔色悪いよ」
「大丈夫。ごめん、なに?」
「昨夜、眠れなかったみたいだから、仁先生をできるだけ休ませてあげようって言ったの。お祭り、うるさいかもしれないけど」
 修一郎がそう言うそばから、つばさが「わっしょい」とぬいぐるみを持ち上げ、「こら」と口をふさがれた。じゃれあう父娘の姿が今の仁美の目には、この上なく愛おしい宝物に映る。
 父を診に来てくれたとき、修一郎に涼音のことを訊かれたが、時間が遅かったのでまた改めて話すと伝えていた。
 聡介の強請りに屈することなく、真実を明らかにすれば、エリカを救うことができる。
 でも、つばさは? 修一郎と義母に娘を任せ、仁美と父がこの町から姿を消せば、つばさは幸せになれるだろうか? いや、無理だ。つばさも加害者家族として、涼音と同じような目に遭わされるに違いない。なにひとつ悪いことなどしていないのに……。
「そろそろ時間じゃない? 準備、大丈夫?」
 修一郎の言葉と同時に、玄関のチャイムが鳴り、台車を手にした武蔵が現れた。
「昨日はすみませんでした」
 詫びる武蔵に大鍋を運んでもらい、仁美たち三人も一緒に家を出た。だがテントが立てられ、祭りの準備が整った公園を目にし、仁美の足はすくんで止まる。その光景が、祭りのBGMが、子供たちの歓声が、十年前の惨劇の記憶を否応なく呼び覚ます。
「大丈夫? つらければ、無理することないよ」
 振り返った修一郎の瞳には、つばさを見守るときのような優しい色が浮かんでいる。自分だって、つらいはずなのに……。
「ママー、どおしたのぉ?」
 駆け寄ってきたつばさが、仁美の手を取る。楽しみにしているこの子のためにも、祭りを成功させなければならない。
 笑顔をつくると、つばさもニコッと微笑み、仁美の手を引っ張る。反対の手を修一郎とつないだつばさは「いちばーん!」と叫びながら、メーメー公園に足を踏み入れた。

 元会長や住民たちが見守る中、守はこの日のために設営されたステージに上がり、マイクを握る。十年ぶりに祭りが復活できる喜びと協力してくれた人たちへの感謝を伝えたのち、守は言った。十年前、この場所で命を落とした人たちに黙とうを捧げよう、と。
 東西に長く伸びたメーメー公園のステージとは反対の西側の奥、芋煮のテントにいた仁美も、複雑な思いを抱えながら目を閉じる。
 黙とうを終えると、守は祭りの開催を高らかに宣言した。
「子供たちのために来年も再来年もずっと続けていけるよう、みんなで盛り上げて、いい祭りにしよう!」
 挨拶を終えると、守はすぐに公園の中央に置かれたお神輿に駆け寄り、声を張り上げる。
「よーし、子供神輿、出発するぞ。担ぎたいやつは、集まれ!」
「なんだよ、守君、会長なんだからここでどっしり構えてろよ」
 こやぎ庵の店主の突っ込みを、守は明るく笑い飛ばす。
「お祭り男の俺が行かなきゃ神輿が盛り上がらないっしょ。ほら、つばさも早く来ないと置いてっちゃうぞ」
「やだやだ、わっしょい、待ってぇぇぇ」
 神輿に走り寄るつばさのかわいい姿に、どこか緊張していた大人たちの頬もゆるみ、この祭りを楽しもう、成功させようという熱が徐々に広がっていく。
 子供の数が減ったため、今年は女子も参加できることになった神輿がにぎやかに公園を出発した。このあと、町中を練り歩いて途中の休憩所でジュースとお菓子をもらい、ゴールの公園に戻ってくると、ごほうびのこやぎ最中と芋煮が待っているのだ。
 つばさにビデオカメラを向けながら同行する修一郎を見送り、仁美は芋煮鍋の見張り担当となった佐久間のおばちゃんと、飲み物係の琴子に「よろしくお願いします」と頭を下げた。
 十年前と同じサイズの大きなテントだが、今年は前面の長机の右横に業務用のクーラーボックスと氷の入った盥が置かれ、芋煮と一緒に渡す缶ビールとペットボトルのお茶を冷やしている琴子の後ろ姿が、十年前の母と重なる。あのときはここに母と涼音がいたのだ。事件が起きる前に戻って、止められたら、どんなにいいか……。
「仁美、大丈夫かい?」
「あ……、うん」
 心配そうに見つめる佐久間に笑顔をつくり、仁美は長机を台布巾で拭き始めた。
「守君に片時も鍋から目を離すなって言われちゃったわよ。責任重大で緊張するねぇ」
「わかる。私、黙とう中も気になって、薄目でちらちら鍋見てたもん」
「仁美もかい? あたしなんか、ずっと半目だったよ」
「やっぱり、おばちゃん、頼りになるわぁ。鍋は任せて、私、こっちやっちゃうね」
 佐久間がテント後方に置かれたコンロの上の鍋を見張ってくれている間に、仁美は拭き終えた長机に、使い捨てのおわんや割り箸、七味などを用意する。
「あー、なんかもうすでにしんどい。この緊張を紛らわすために、ちょっと飲んでいい?」
 佐久間の目は、琴子が盥で冷やしている缶ビールに注がれていた。
「おばちゃん、鍋!」
「やぁね、仁美、鍋も見てるわよ。あんたたちの緊張をほぐしてやろうと思ったのに、ねぇ、琴子さん」
 呼びかけられた琴子は、「えっ?」と驚いて佐久間を見た。
「ほら、ごらん。仁美。琴子さんも緊張しちゃってるだろ」
「あ、ごめんなさい。麗奈ちゃん、いないのかなって気になって……。ジュースを差し入れするから冷やしてくれって言われてたので」
「確かにそんなこと言ってたね。麗奈ちゃん、見た?」
 仁美に問われた佐久間も首を横に振る。「テレビ局の人たちは来てたけどねぇ」
「ですよね、カメラマンの人、子供神輿についていきましたもんね」
 カメラに気づいていなかった仁美は琴子の言葉に顔をしかめる。つばさを撮らないでくれと頼んでおけばよかった。
「大丈夫っすか? なんも問題ないっすね?」
 公園内を見回っていた警備担当の武蔵が、テントを覗き込む。
「問題ありありよ。武蔵、麗奈ちゃんの姿が見えないけど、具合でも悪いの?」
 いいところに来たとばかりに、佐久間は武蔵をつかまえ、尋ねた。
「あ……、いや、麗奈は元気っすけど、朝、調子悪いんで」
「朝ってもう昼じゃない。それに、元気なのに調子悪いってなによ?」
「いや、俺もよくわかんないっすけど、だから、ほら、顔がむくむとかそういうやつ」
「ちょっと、あんた、おばちゃんにケンカ売ってんの? 顔がむくむっていうのはこういうのを言うのよ」
 自分の顔をベチベチ叩く佐久間を、「おばちゃん、鍋!」と、仁美が止めた。佐久間から逃れた武蔵は、「麗奈、ちょっと拗ねてんのかも」とつぶやく。問い質すと、守と揉めたのだという。
「麗奈、今日の祭りで踊ることをSNSに上げてファンを呼びたかったのに、守さんに止められたんすよ」
「それは守君が正しいわよ。今だってこんなピリピリしてんのに、知らない人がいっぱい来たら、祭りどころじゃなくなるじゃない。芋煮だって足りなくなるし」
 一応、目は鍋に向けたまま、文句を言う佐久間に、「大丈夫っす」と武蔵が応じる。
「誰も呼んでないし、麗奈もあとからちゃんと来るんで。じゃあ、なにか少しでも気になることがあったら、すぐに俺か他の警備担当、呼んでください」
 見回りを続ける武蔵を送り出し、佐久間がホッと息を吐く。
「守君がまともで助かったね。孫に甘々の元会長なら麗奈に説き伏せられて、祭りがわけわかんないことになってたかもよ。それにしても武蔵も麗奈に振り回されて気の毒だねぇ。どんなに想っても一方通行だろうに」
 鍋に向かって喋りつづける佐久間の肩を、仁美が叩く。
「おばちゃん、こっち終わったから、鍋の番、替わる。ずっと集中してるの、しんどいでしょ」
「助かったぁ。緊張しすぎておしっこ行きたくなってきちゃった」
「じゃあ、今のうちに行っといて。忙しくなってからじゃ、行きたくなっても行けないよ」
「もちろん行くわよ。おトイレ近くてよかったわぁ」
 公園内の北側にある公衆トイレへ佐久間は走る。その背中を見送る視線の先にあった光景に、仁美はぎょっと息をのんだ。ゴミ拾いトングとちりとりを手に、トイレの陰からこちらをうかがっている男がいる。聡介だ。
「気づいた?」と、隣に立つ琴子が眉をひそめる。
「聡介さん、さっきからやたらとこっちを見てるんだけど、どうしたのかしら?」
「え? あ……、でも、聡介君って、いつもあんな感じだし……」
 動揺し、しどろもどろになる仁美の言葉を武蔵の鋭い一喝が遮る。
「ちょっと! そこで、なにやってるんすか?」
 仁美だけでなく聡介もビクッと身体を震わせ、慌てて公衆トイレの陰から姿を消したが、それは彼に向けられた言葉ではなかったようだ。
 公衆トイレより先の北側の出入口の外で、武蔵が誰かと対峙している。木の陰に隠れてその人物は見えないが、他の警備担当者が「どうした?」と武蔵のもとへ駆け寄っていく。
「この人が祭りの写真撮ってたんすよ。芋煮のテントとかの」
 木の陰にいた人物が頭を下げて立ち去ろうとしたが、武蔵はそれを許さず、道を塞ぐ。
「あんた、どこかで……」
 武蔵はマスクをしたその女性の顔を覗き込むと、目深に被っていた帽子を剥ぎ取った。
「やっぱり……。どうして、ここにいるんだよ!?」
 武蔵の怒声にみんなが驚いて、北側の出入口を見た。
「武蔵、どうしたんだ? なにを揉めてる?」
 中央のテーブルで老人会のメンバーと談笑していた元会長が声をかけると、武蔵は彼の前に、その女性を引きずるようにして連れてきた。
「見てください、こいつですよ!」
 元会長より早く、そこにいたこやぎ庵の店主が驚愕の表情を浮かべた。
「おまえ……、毒殺犯の娘じゃねぇか!?」
「えっ? 涼音なのか……?」
 驚く元会長の前で、武蔵はマスクを取れと命じたが、応じない彼女に舌打ちし、ふたりがかりでマスクを剥ごうとする。
 たまらず駆け寄ろうとした仁美の腕を、琴子が掴んだ。
 悲鳴のようなどよめきに振り返ると、マスクを奪われた涼音が顔を晒されていた。
「なんで、あの女の娘がここに?」
「よくもぬけぬけとこの町に来られたな!」
 戸惑い、怒る住民たちの声を片手で制し、元会長は涼音に向き直る。
「涼音、どうして、祭りに来た? なにが目的だ?」
「再審請求の扉を開くために新たな証拠が必要なんです。お祭りを見たら、なにか思い出せるんじゃないかと思って。できれば、皆さんからもお話をうかがえたらと……」
「はぁ? なに、言ってんだ!? おまえの母親は自白したじゃねぇか。やったのは景浦エリカだって、裁判所も認めたんだぞ」
 涼音に詰め寄るこやぎ庵の店主を抑え、元会長は目顔で涼音にその答えを問う。
「母は自暴自棄になって自白してしまっただけで、毒殺なんかしてません」
「そんな話、信じられるわけねぇだろ。おまえら親子に協力する人間なんてこの町にひとりもいるもんか。あの女のせいで、みんな、どれだけひどい目に遭ったかわかってんのか?」
「そうだそうだ、こやぎ庵の言うとおりだ!」
「母親がやったことなんだから、あんたが代わりにつぐないなさいよ!」
 罵声を浴びせる住民たちを静かに見据え、涼音は口を開いた。
「皆さんは、怖くないんですか?」
 一瞬、静まり、顔を見合わせた人々が、また好き勝手に言葉をぶつけ始める。
「なんの話だ? 怖いのは平気で我が子を殺すおまえの母親だろ!」
「平気でここにツラ出せるおまえもな!」
 元会長が手を上げて再びそれを制し、「どういうことだ?」と涼音に尋ねた。
「博士の家を放火した犯人も、音無のおばあちゃんや流星君を崖から突き落とした犯人も捕まっていないんですよ」
「だから、それもおまえの母親がやったんだよ」
 そう叫ぶこやぎ庵の店主を、涼音はじっと見つめる。
「警察が起訴を諦めたのに、ですか?」
「それは……、警察がボンクラだからだ!」
「母はやっていません。おしるこに農薬も入れていません。この町にはまだ殺人犯がいるかもしれない。それなのに、皆さん、怖くないんですか? 十年前の事件についてなにか思い出したことがあれば、どんな些細なことでもいいので教えてください。お願いします」
「ふざけるな! おまえの母親が逮捕されてからは、事件なんて起きてねぇんだ。それがなによりの証拠じゃねぇか。景浦エリカが犯人だっていうよ」
 こやぎ庵の店主に同調する声が上がる中、涼音は気丈に言い返す。
「たまたま起きなかっただけかもしれない。犯人がまだこの町にいるなら、事件はいつ起きても、たった今起きたっておかしくな……」
「やめなさいっ!」
 涼音の言葉を遮ったのはこやぎ庵の店主ではなく、元会長だった。
「平和な日常がやっと戻り、守やみんなが努力して、十年ぶりにようやく祭りが開催できたんだ。そんなめでたい日に縁起でもないことを……」
「会長、こいつの目的、それなんじゃねぇか。母親を助けるため、祭りでまた事件を起こして、犯人は他にいるって思わせようと……。おい、武蔵、こいつの持ち物、検査しろ」
「え?」
「農薬とか変なもん持ってるかもしれないだろ」
 こやぎ庵の店主にそう言われた武蔵は、指示を仰ぐように元会長を伺い見る。彼が小さくうなずくと、武蔵は涼音のバッグを奪い取り、逆さにして中身をぶちまけた。携帯電話、財布、手帖、ハンカチとティッシュが地面に転がる。武蔵はバッグのポケットを検め、財布の中まで確認したのち、元会長に視線を送り、首を横に振った。また小さくうなずく元会長に代わり、こやぎ庵の店主が「おい、おい」と尖った声を上げる。
「まさか、これで終わりじゃないよな。身体検査も必要だろうが。ポケットだけじゃダメだぞ。どこに隠すかわからねぇから、服も脱がさないと……」
「いい加減にして!」
 たまらず飛び出した仁美が、涼音をかばう。
「おう、仁美、いいところに来た。男がやると犯罪になるから、おまえが……」
「女がやったって犯罪だよ。涼音、行こう」
 携帯電話や手帖などを拾い上げ、武蔵からバッグをひったくると、仁美は涼音を公園から連れ出す。一度テントを振り返り、琴子と佐久間がいるのを確認して、鍋の見張りを頼むと目顔でふたりに伝えた。

「涼音、大丈夫?」
 駅のほうへ歩きながら声をかけると、彼女は小さくうなずいた。
「大丈夫、慣れてるから。結局、仁美ちゃんに迷惑かけちゃって、ごめんね」
「そんな、迷惑なんて……。悪いのはこやぎ庵のおじさんたちなんだから、涼音が謝ることじゃないよ。今、タクシー呼ぶから」
「待って。まだ、帰れない。誰からも話聞けてないし」
「でも、あんなことがあって、誰も話なんかしてくれないよ」
「だとしても、お祭りを最後まで見たい」
 さすがに呆れ、仁美は涼音の顔を見た。
「無理だって。また見つかったら、どうするの?」
「私、さっき、子供たちがお神輿を担いでるのを見て、それまで忘れてた母の言葉をふいに思い出したの。『子供はみんなお神輿担いでるのに、どうして流星君だけここにいるの?』みたいなこと、言ってたよね?」
「うん。でもその理由、ツリーハウスで琴子さんに聞いたじゃない。流星君、お神輿担がずにおばあちゃんのお世話をしてくれてたって。それに、流星君はもう亡くなってるし」
「彼が犯人だとか言ってるんじゃなくて、祭りを見ることで、思い出せることもあるんじゃないかと思って。だから、仁美ちゃんに止められても、私はここに残る」
 こうと決めた涼音を翻意させるのは容易なことではない。仁美はため息を吐き、涼音の手を引いて公園から見えない道を辿り、自宅へ戻る。裏口から涼音を引き入れ、二階の部屋のカーテンを閉めて、わずかな隙間から斜め向かいにある公園を指さす。
「ここからなら、見えるでしょ」
「仁美ちゃん……」
「父が体調崩して寝てるから、起こさないようにしてもらえる? 私、もう戻らないと。ここにいて。あとで話そう」
 行きかけて足を止め、仁美は振り返る。
「涼音……、ごめんね」
「え? なんで謝るの? 私、今、仁美ちゃんにお礼言おうと……」
 首を振って涼音の言葉を遮り、仁美は逃げるように階段を駆け下りた。
「涼音さん、帰ったの?」
 テントに戻った仁美は、琴子と佐久間に問われ、曖昧にうなずく。ふたりは質問を重ねようとしたが、遠くから子供たちの元気な声が聞こえてきた。
「わっしょい、わっしょい、わっしょい、わっしょい」
「やだ、もう帰ってきちゃう。鍋の番任せちゃってごめんね。大丈夫だったよね?」
 話を逸らし、準備をしていると、程なくして子供神輿が公園に戻ってきた。
「おー、みんな、よくがんばったな。ご褒美のこやぎ最中はこっちだぞ」
 こやぎ庵の店主は人が変わったような猫なで声で子供たちを呼び、テレビカメラに笑顔を見せながら最中を配り始める。
「ママー、やぎさんの最中、もらったぁ!」
 こやぎ最中を掲げながら、テントに駆け寄ってきたつばさは満面の笑顔だ。
「最後までがんばって偉かったね。つばさ、お神輿楽しかった?」
「うん! いっぱい、わっしょいした! わっしょいのあと、つぅちゃん、カイト君とヨーヨーやるの」
「ヨーヨー釣りね。パパが来るの待って、一緒に行って」
「パパー」とつばさに呼ばれ、こちらにやって来た修一郎の顔は引き攣っているように見えた。琴子たちの目を気にしながら、仁美に顔を寄せ、押し殺した声で訊く。
「すずが来たんだって?」
 頷き、「今、うちにいる」と耳打ちすると、修一郎は驚きに目を見張った。少し表情が和らいだ顔を仁美に向け、声に出さず口のかたちだけで伝えてくる。「ありがとう」と。
 修一郎に礼を言われるようなことではない。目でそう訴え、仁美は鍋に戻った。
 芋煮を配る時間が近づくと、おたまを持つ手が震え、涼音のことも聡介のことも一瞬頭から消し飛んでしまうくらい緊張した。
 だが、時間を過ぎても、芋煮のテントには誰も訪れない。こやぎ庵の店主のまわりはにぎわっているのに、芋煮を楽しみにしていると声をかけてくれた人たちも、皆、横目で様子をうかがっているようだ。
 やはり、みんな怖いのだ。十年前の惨事を目にした人は、ここで鍋から振る舞われる料理を口にするのに勇気がいるだろう。当時を知らない子供たちも、その話は嫌というほど聞かされているはずだ。
 やはり、芋煮など作るべきではなかったのだ。
 肩を落とす仁美に、佐久間がドンと体をぶつけてくる。
「仁美、なにしてんの。早くよそってよ」
 振り返ると、長机の前に芋煮の引換券を手にした男がひとり立っていた。
「修一郎……」
「僕も食べていいんだよね?」
「それは……、でも……」
「ああ、もう、貸しな。あたしがやるから」
 佐久間は仁美から取り上げたおたまで芋煮をすくい、そのおわんを修一郎の前にドン!と置いた。
「修一郎、あんたの嫁が作った世界一美味い芋煮だからね。心して食べな」
 薄く微笑んでうなずき、修一郎はいただきますと手を合わせた。おわんを口に運ぶまでは少し緊張しているように見えた顔が、芋煮を一口すすった瞬間、子供のようにほころぶ。
「おばちゃん、本当に世界一うまい。つばさー、つばさも食べる?」
 修一郎の呼びかけに、ヨーヨーを手にしたつばさが走ってきた。
「うん! つぅちゃんも食べる!」
 近くのテーブルで芋煮を美味しそうに食べるふたりの様子を見て、徐々に人が集まり始めた。
「おう、仁美、俺にもくれよ。大盛りで」
「ちょっと、守君。あたしのが先に並んでたのよ」
「はい、どうぞ。大丈夫、充分あるし。熱いから気をつけてね」
 誰も体調を崩すことなく、たくさんの人々が笑顔で芋煮を頬張る姿に、仁美はホッと息を吐いた。
「美味しそう。麗奈も、もらっちゃおっかな」
 ダンボール箱を抱えた武蔵を引き連れて、ダンスの衣装をまとった麗奈が現れた。
 中高生と揃いの衣装だが、麗奈は上手に着崩し、メイクもバッチリ合わせているので、目を引き付ける華やかさがある。ゆるく結い上げた髪に挿したヘアアクセやダンスシューズなど小物も衣装に合わせ、さすがに洗練されていた。
「あ、これ、前に話しためっちゃ美味しいジュース」と武蔵が抱えるダンボール箱をあごで指す。
「こんな田舎じゃ手に入らないから、仁美ちゃんたちも飲んで。あ、こっちの酵素ジュースは飲まないでね。麗奈のだから」
 ワインボトルのようなおしゃれな瓶に入ったジュースを武蔵から受け取り、琴子は缶ビールを配り終えた盥で、それらを冷やす。
「麗奈さん、紙コップは?」と、琴子に問われ、彼女は「あっ!」と声を上げた。
「やっば、忘れてた。武蔵、買ってきて」
「でも、俺、警備があるから。そんな長く抜けたら、守さんにどやされるし」
「えーっ、使えないなぁ。コンビニないとか終わってるよね。じゃ、いいや」
 すぐに諦め、芋煮に舌鼓を打つ麗奈のもとに小学生の子供たちが集まってきた。
「あの……、麗奈ちゃん、サインしてもらってもいいですか?」
「いいよぉ。どこにする? そのはっぴとか?」
「あ、えっと、これは怒られちゃうから、このノートに」
 テレビ局のディレクターとカメラマンも駆けつけ、子供たちに求められるままサインをする麗奈の様子をカメラに収める。
「麗奈ちゃん、今日もバッチリキマッてるね」
 ディレクターの言葉に気をよくした麗奈が、「この芋煮、美味しいから、おふたりも食べてください」と勧め、仁美は佐久間と鍋を覗き込む。まだ食べていないのは、ボランティアで働いている祭りの実行委員だけだから、なんとかなるだろう。
 手渡された芋煮を「うまい、うまい」と貪り食う男たちの後方に、ヨーヨーで遊ぶつばさの姿があった。気づいた麗奈が「つぅちゃん!」と声をかけると、つばさは走ってくる。
「あのね、麗奈、これからダンス踊るんだけど、つぅちゃんも観に来てくれる?」
「うん! つぅちゃん、観たい! つぅちゃんもお遊戯できるよ」
「じゃあ、一緒に行こう。つぅちゃんのお遊戯、あとで観せて」
 そんな麗奈とつばさを撮影しながらステージへと移動を始めるテレビ局員に娘を映さないでくれと伝えたが、軽く流され、仁美は不安になる。今もテーブルに残されたゴミを片付けながら、聡介がチラチラこちらを見ているというのに……。
「仁美、あたし、まだ芋煮食べてない警備担当とかに声かけてくるわ」
 麗奈たちのダンスまでに配布を終わらせたいという佐久間の言葉に、仁美は我に返った。
「あ、そうだね、お願い。芋煮もギリで足りそうだし」
「ん?」と、佐久間が首を傾げる。「芋煮はいいけど、おわんがちょっと足りなくない?」
「あ! 私、守君に予備のおわん持ってきてって言われてたのに、すっかり忘れてた。ちょっと家まで取りに行ってくるね」
「仁美さん、もしあったら、紙コップもお願い」
 麗奈のジュースを指さす琴子にうなずき、ふたりに鍋を任せて、仁美は自宅へ走る。涼音のことが気になっていたので丁度いいと思ったが、玄関を開けると、彼女の靴がない。涼音は姿を消していた。また公園へ行ったのかもしれない。急いで戻らなければと、物置へ走り、ダンボール箱からおわんと紙コップの入ったビニール袋を引っ張り出す。それを手にドアを閉めたところで、仁美は動きを止めた。
 視界の隅になにかが引っかかった。
 再び物置に入った仁美は、ハッと目を見開く。違和感の正体はすぐにわかった。棚の奥に隠すように置かれた箱だ。恐る恐る手にし、仁美は父の部屋へと駆け上がる。
「お父さん、これ!」
 乱暴にドアを開けてしまったが、父は寝息を立てていた。氷枕をした父の肩にかけた手を仁美はそのまま引っ込め、引き出しにある例の手帖を捜す。カバーの間に小さな鍵は残されていた。手に取って鍵穴に挿入し回すと、カチッというかすかな音とともに、箱は開いた。
 父が言っていた通り、箱の中には液体の入った小瓶があった。
 これが、音無のおばあちゃんに飲んでつぐなえと渡された農薬──?
 青緑色の液体に見覚えがあった。警察がうちの物置で発見したパラコートと同じ色だ。
 つばさが誤飲でもしたら大変なことになる。すぐに処分しなければ。流して捨てようと、トイレの蓋を開けた瞬間、なにかに打たれたように仁美はその手を止めた。
 あれだけ捜して見つからなかった箱の中身が、どうして、今このタイミングで自分の手に届いたのだろう? もしかしたら、これは、神の啓示かもしれない。
 本物のパラコートなら、逆につばさを守ることもできる。
 この液体を入れる瞬間さえ目撃されなければ、犯人を特定することは難しい。それは毒しるこ事件で痛いほど思い知らされている。
 芋煮を作り提供した仁美は当然疑われるだろうが、うちにこの農薬があることを知っているのは父と音無ウタだけだ。彼女亡き今、入手ルートが解明されることはない。
 これは、千載一遇のチャンスなのではないか──。
「仁美、遅いよ、なにやってたの? もう麗奈たちのダンス、始まっちゃうよ」
「……おばちゃん、ごめん。行っていいよ」
「え? あんた、観に行かないの?」
「まだ芋煮残ってるでしょ? 番してるから行ってきて」
「残ってるっていっても、今さっき、警備担当の子らと高岡さんと藤田さんが来てふるまったから、あと食べてないのは、あんたたちふたりとあの子くらい……」
 佐久間が顎で指したのは、また公衆トイレの陰でこのテントを伺い見ている聡介だった。
「あの子、今日、やたらとジロジロこっち見てたけど、あれ、なに? 気持ち悪い」
 佐久間にまで気づかれてしまうほど、聡介は挙動不審なのだ。求めに応じて金を払ったとしても、彼はきっとどこかでボロを出す。
「あ、麗奈のスピーチが始まる。じゃあ、あたし、行ってくるね」 
 佐久間がステージに向かい、テントには琴子と仁美だけが残された。
「琴子さん、これ、紙コップ。よかったら、琴子さんも行って。飲み物、私、見てるし」
 礼を言って紙コップを受け取ったが、「ダンスはいいわ」と琴子は首を横に振る。真面目な彼女は、引き受けた飲み物係を最後まできちんとやり遂げるつもりなのだ。
 それでは無理だと諦めかけたが、十年前も思ったけれど、このテントは思いのほか広い。麗奈たちのダンスに琴子が注意を向けている間なら、小瓶の中身を入れることは決して不可能ではない。聡介に渡す芋煮のおわんに──。
 芋煮をよそった自分は間違いなく容疑者の最有力候補になるが、聡介に自殺願望があることは広く知られている。彼が自分で農薬を服用したと考える人もいるに違いない。
「皆さん、今日は麗奈たちのダンスを観に来てくださって、ありがとうございます!」
 ステージの上から観客に向けて挨拶をする麗奈の声がマイクを通して聞こえてくると、琴子は顔を上げ、遠くにある舞台を見た。
「ご存知のとおり、私、麗奈は十年前の毒しるこ事件のサバイバーです。ここにいる方々の多くが、あの事件でつらい思い、怖い思い、悲しい思いをしたはずです」
 琴子は壇上の麗奈をじっと見つめている。彼女が気をとられているこの瞬間なら、誰にも気づかれずにおわんに農薬を盛れる。
「麗奈も大切な親友のかすみを喪いました。私たちは亡くなった人たちの想いを胸に、しっかり前を向いて、彼女たちの分まで生きていかなければいけないと思います」
 麗奈のスピーチに拍手が上がる。仁美は注意深く辺りを見回した。公衆トイレの陰に立ち、さっきまでこちらの様子をうかがっていた聡介でさえも、ステージ上の麗奈を見つめている。今しかない。今しか……。仁美はおわんに芋煮をよそい、エプロンのポケットに入れた小瓶を掴み──。
「だから、今日は亡くなった方々のために、そして、ここにいる皆さんのために、一生懸命踊ります。みんな、これからも麗奈のことを応援してくださいね」
 うおーっと歓声が上がった。武蔵の先導で麗奈ちゃんコールが巻き起こる中、仁美はよろよろと芋煮のテントを抜け出す。仁美に気づいてなにか言いたげに近づいてきた聡介に机の上の芋煮を一瞥で示し、「聡介君の分」と震える声で一方的に伝え、仁美は目を合わせることなく、公衆トイレへと駆け込んだ。
 麗奈ちゃんコールが鳴りやまぬ中、懐かしいダンスの音楽が聞こえてくる。麗奈たちのダンスを観ることなく、仁美はその曲がかかっている間、公衆トイレにいた。震えが治まらなかったからだ。
 曲が終わると拍手と大歓声に包まれたが、すぐには動けず、個室のトイレにうずくまっていた。ようやくなんとか立ち上がり、個室のドアを開けたそのとき、絹を裂くような悲鳴が空気を震わせた。
 仁美は外に出て、芋煮のテントを見る。だが、連鎖するように悲鳴がこだましているのは、テントとは反対のステージ側だ。ダンスが終わったステージ上には誰もいない。だが、そのすぐそばに設けられたイスとテーブルにダンスの衣装をまとった中高生たちがいて、そのうちの何人かが苦しそうに嘔吐している。
 見覚えのある光景だった。
 十年前のつらい記憶が脳裏によみがえり、全身が震え出す。
 どうして……?
 私じゃない。どうして、こんなことに?
 身体を折り、もだえ苦しんでいる麗奈と武蔵の姿が見えた。
 誰かが「救急車!」と叫び、修一郎の名を呼ぶ声も聞こえる。
 そうだ。助けなければ。
 ふらふらと数歩近づいたとき、仁美の目は、大柄な武蔵の陰にいるはっぴを着た幼女の姿をとらえた。
「つばさ……」
 苦しそうにうずくまっているその女の子は、間違いなくつばさだ。
「……そんな、なんで? 嫌……、つばさ! つばさ!」
 地面を蹴り、仁美は走り出したが、つばさまでの距離は気が遠くなるほど遠かった。

(第26回へつづく)