14

 譲二を乗せたタクシーは、マイバッハと二台の装甲車を追い抜き歌舞伎町に向かった。

 オカケニナッタデンワハ……。

「くそっ! どうして電源を切ってるんだよ!」
 譲二がスマートフォンを耳に当てながら叫ぶと、運転手の背中がビクリとした。
 譲二は立て続けにリダイヤルしたが、上部スピーカーからは繰り返しコンピューター音声が流れるだけだった。
 二、三十メートル後方から装甲車とマイバッハはついてきていた。
「運転手さんっ、もっとスピードを上げてくれ!」
 譲二は叫んだ。
 この距離だと「ナイトプール」に到着して直美を連れ出す前に襲撃されてしまう。
「これ以上はちょっと……警察に捕まってしまいます」
 運転手が恐る恐る言った。
「いいから黙って、スピードを出せ!」
 譲二が一喝すると、運転手がアクセルを踏み込んだ。
 警察……。
 いっそのこと、警察が追ってきてくれたほうがいいのかもしれない。
「ナイトプール」には数十キロの覚醒剤が運び込まれている。
 現場を押さえれば、海東を始めとする「東神会」の面々を一網打尽にできる。
 譲二はスマートフォンを手にした。
 だが……。
 警察に通報しようとした指先を番号キーの上で止めた。
 下呂を手懐けている海東のことだ。新宿署に手を回している可能性は十分に考えられた。
 譲二は背後を振り返った。
 マイバッハと装甲車が信号に捉まった。
 これでかなりの距離を稼げる。
 譲二は通報を思い直した――警察に裏切られるリスクを取るより、直美を救い出すことを選択した。
「も、もう着きますよ」
 運転手が掠れた声で言った。
「ここでいい」
 譲二はタクシーを「ナイトプール」の斜向かいの路肩に停めた。
「人を連れてくるから、ここで待っててくれ。すぐに戻ってくるから」
 譲二は言いながら一万円札をトレイに置いた。
「勘弁してください……。怖いことに巻き込まないで……」
「会社名も名前も覚えたから、逃げたらただじゃおかないぞ!」
 譲二は運転手を脅し、通りを渡った。
「ナイトプール」の入るビルに駆け込むと、地下へと下りた。
「直さん! 直さん!」
 譲二は店内に入り、直美の名を叫んだ。
 白大理石貼りのメインフロア、天井を彩る煌びやかなシャンデリア、中央に噴水、壁棚に陳列された高級酒のボトル、白革のボックスソファ――譲二は広々としたフロアに視線を巡らせた。
 更衣室に飛び込んだ。すべてのロッカーの扉を開けた。
 男子トイレに飛び込んだ。すべての個室の扉を開けた。女子トイレに飛び込んだ。すべての個室を開けた。
 直美はどこにもいなかった。
 事務室に飛び込んだ。
 やはり直美はいなかった。
 ぐずぐずしていると、海東達が到着する。
「直さん! 譲二です! 出てきてください! 海東達が乗り込んできます!」
 譲二は声のかぎりに叫んだ。
 複数の足音が聞こえてきた。
「直さん! どこですか! 直……」
 突然、譲二の目の前の床板が浮いた。
「馬鹿野郎! 海東のくそ野郎に聞こえるじゃねえか!」
 床から顔を出した直美が怒鳴りつけてきた。
「え……直さん……これは……」
 譲二は直美に足首を掴まれ、床下に引き摺り込まれた。
 床下は二十畳ほどのスペースがあり、高さは二メートルほどだった。
 脚立に乗る直美に、譲二はお姫様抱っこされていた。
 キングサイズのベッド、ソファ、テレビ、冷蔵庫……床下は、生活できる仕様になっていた。
「なんですか? ここは?」
 譲二は抱っこされたまま訊ねた。
「気持ち悪ぃから離れろや!」
 譲二の視界が流れた――ベッドに投げ出された。
「痛ててて……直さんが抱っこしたんじゃないですか……」
 譲二は腰を擦りながら不満を口にした。
「『ナイトプール』のもとは『ヴィーナスナイト』っていうキャバクラで、俺と若頭がケツを持っていた。そのときに、やり部屋を作ろうってことになってよ」
 直美が下卑た笑いを浮かべた。
「やり部屋って、まさか……」
「決まってんだろ。キャバ嬢とやるために若頭と二人で秘密部屋を作ったってわけだ。出勤前に一発、接客中に一発、アフター前に一発……取っ替え引っ替えいろんなキャバ嬢とやりまくってよ。ああ、あの頃が懐かしいぜ~」
 直美が頬肉を弛緩させて遠い眼差しになった。
 頭上から複数の足音が聞こえた。
「ヤバい……」
 譲二の顔が強張った。
「心配すんな。この部屋のことは、俺と若頭以外は誰も知らねえ。面白いもんを見せてやる」
 直美が言いながら、フロアの隅に設置してあるロングデスクに向かった。
 譲二もあとに続いた。
 スチールデスクには五台のモニターが載せてあり、血相を変えたスーツ姿の男達、「東神会」の組員が映っていた。
「店内の監視カメラの映像だ」
 直美はソファに腰を下ろし、両足をロングテーブルに投げ出した。
「これは、どういうことですか? ゆっくりしている場合じゃ……」
「いいから、お前もここに座って見物しろ」
「えっ? なにをですか?」
「じきにわかる」
 直美は丸太のような腕を組み、ニヤつきながらモニターを見ていた。
 二十人を超える組員達が、さっきの譲二と同じようにフロア中を血眼になって直美を捜していた。
 海東の姿は見当たらなかった。
 カメラの死角にいるのか?
 それとも……。
 組員達の手に握られている拳銃やナイフを見た譲二の血の気が引いた。
 直美が大立ち回りをする気がなさそうなことには安堵した。譲二の知っている直美なら、この状況を見たら間違いなく大乱闘になるだろう。
 嬉しい誤算だった。さすがの直美も、銃弾には勝てない。
 いや、拳銃を所持しているのが一人や二人ならなんとかなるかもしれない。ざっと見ただけで、十人は拳銃を手にしていた。
 海東は、確実に直美を仕留めようとしている。
 直美は鼻唄を歌いながらモニターを眺めていた。
 直美の肚が読めなかった。戦う気がないのなら、どうして店内にいるのだ? 林と別れてから、なぜ店を出なかったのか?
「もしかして、林が裏切るかどうかをたしかめるためにここに潜んでいるんですか?」
 譲二は訊ねた。
「あ? なんのこっちゃ? 林は裏切ってねえよ」
 直美が立ち上がり、冷蔵庫から瓶ビールを二本取り出し一本を譲二に差し出した。
「俺はいいです。それより、林が裏切ってないってどういう意味ですか?  裏切ったから、海東が武装した兵隊を連れて乗り込んできたんじゃないですか?」
「お前も酒でも飲みながら見てろって」
 直美が王冠を歯で開けると、瓶ビールをラッパ飲みした。
「あ! 海東と林が現れましたよ!」
 譲二は、モニターを指差し叫んだ。
「ようやく包茎野郎の登場か」
 直美がリモコンを手に取りスイッチを入れた。
『あの化け物は、どこにいやがるんだ!』
『くそ野郎は、本当にここにいるのか!?』
『ふざけやがって、ぶっ殺してやる!』
『出てこい! バケモンが!』
 組員達の怒声がモニターから流れてきた。

「音声が聞けたんですか?」
『雑魚どもの声を聞いても仕方ねえだろ。ま、俺に言わせりゃ海東も雑魚だけどよ』
 直美が高笑いした。
『てめえらうるせえぞ! 少しは黙ってろ!』
 林が組員達を一喝した。
『兄貴、お言葉ですが、俺らは兄貴の情報で必死に化け物野郎を捜してるんですよ。そんなふうに怒鳴らなくてもいいじゃないですか?』
 銀髪の組員が、不満げに言った。
『なんだてめえ! 俺に歯向かってんのか! おおっ!?』
 林が血相を変えて、銀髪組員に詰め寄った。
『だったら言わせて貰いますが、本当に化け物野郎はここにいるんですか!? もしかして、ガセじゃないんですか?』
 銀髪組員は一歩も退かずに、林を睨みつけた。
 ほかの組員達も、林に不審の眼を向けていた。
『てめえっ、誰に向かって口利いて……』
『やめろ』
 銀髪組員の胸倉を掴みかけた林の腕を、海東が掴んだ。
『でも、この野郎が楯突いて……』
 海東がスーツの胸ポケットから抜いたペンを、銀髪組員の左目に突き刺した。
 銀髪組員が悲鳴を上げながら転げ回った。
 左目を押さえた手は、噴き出す鮮血で赤く染まっていた。
 背後の組員達が顔色を失った。
「うわっ……」
 譲二は堪らず眼を逸らした。
「古臭い手を使いやがって」
 直美が薄笑いを浮かべ吐き捨てた。
「どういうことです?」
 譲二は訊ねた。
「そんなこともわからねえのか? 林がナメられたら組員達の統制が取れねえ。いまは一丸となって俺を捕まえなきゃならねえってことを、銀髪を見せしめに教えてるんだよ」
 直美が二本目の瓶ビールの王冠を歯で外しながら言った。
「じゃあ、海東は林を信じてるわけですね?」
「まあ、見てろや」
 直美がワクワクした顔で言った。
 譲二はモニターに視線を戻した。
『いまは直さんを捕らえることが先決だ。こいつみたいに目ん玉を潰されたくなければ、林に楯突くんじゃない。わかったか?』
 海東が視線を巡らせると、組員達が声を揃えて詫び弾かれたように頭を下げた。
『林、必ず直さんを捕まえるんだ。もし捕まらないようなら、若い衆の言うことを信用しなければならない』
 海東が冷え冷えとした眼で林を見据えた。
『ご安心を。奴は必ずここにいますから』
 林が言った。
「くそっ……林はやっぱり裏切ったんですね!?」
 譲二は直美に訊ねた。
「だから、裏切ってねえって言っただろうが?」
 直美が面倒臭そうに言うと、二本目の瓶ビールを呑み干した。
「だって、直さんを捕らえようとしてるじゃ……」
 床上とモニターから聞こえてくる複数の足音が譲二の声を遮った。
『警察だ! 動くな!』
 モニターに現れた三十人近い機動隊の先頭に立つ刑事に譲二は眼を疑った。
「嘘っ……」
 譲二は二の句を失った。
 機動隊の先頭に立つ刑事――下呂。
「なんで……」
 なにがどうなっているのか、譲二にはわからなかった。
『てめえらっ、この野郎、勝手に入ってくるんじゃねえ!』
『ぶっ殺すぞ、こら!』
 熱り立った組員達が、拳銃を突きつけながら機動隊に詰め寄った。
『貴様らっ、おとなしくしろ!』
『抵抗すると発砲するぞ!』
 機動隊が拳銃を構え、防弾盾で組員達を取り囲んだ。
 機動隊と組員達が互いに拳銃を突きつけ睨み合った。
「直さん……これはどういうことですか? どうして下呂が海東達を?」
 譲二は素朴な疑問を口にした。
「刑事がヤクザを捕まえるのは、珍しくねえだろうが」
 直美が涼しい顔で言った。
「直さんっ、真面目に答えて……」
『お前ら、チャカを下げろ!』
 譲二の言葉を、モニターの中の海東の怒声が遮った。
『でも、若頭……』
『いう通りにしろ!』
 海東の一喝に、組員達が渋々と拳銃を持つ手を下ろした。
『刑事さん、これはいったい、どういうことですか?』
 海東が下呂に向き直った。
『覚醒剤の取り引きがあるとタレコミが入った。踏み込むのは当然だろうが?』
 下呂が臆したふうもなく言った。
 いままで海東の言いなりになっていた男とは別人のようだった。
『私が訊いてるのは、そういうことじゃありません。これまで散々甘い汁を吸わせてきた私に、こんなことをしてただで済むと思っているんですか?』
 海東が恫喝の響きを帯びた口調で言いながら下呂を見据えた。
『ヤクザが刑事を脅すのか? 全員、しょっ引け!』
 下呂の号令に、機動隊員が組員達を片端から拘束した。
『後悔しますよ』
『檻の中でも言ってろ。「東神会」若頭、海東颯、銃刀法違反及び覚醒剤取締法違反の現行犯で逮捕する!』
 下呂は罪状を読み上げながら海東に手錠を嵌めた。
「マジか……」
 譲二の口から驚きの声が漏れた。
 下呂に連行される海東がモニターから消えた。
 信じられなかった。海東に媚び諂っていた下呂と同一人物とは思えなかった。
「俺も命懸けで直さんを助けようとしたんですから、いい加減説明してくださいよ!」
「腐れ刑事が海東の覚醒剤取り引き情報を流してきた。俺は海東をぶっ潰すために腐れ刑事と手を組んだ。そんなとき、林が俺に寝返った。林に騙され『ナイトプール』に潜んでいる俺を襲撃する海東一派を、機動隊を引き連れた腐れ刑事が叩くっつう筋書きだ。筋書きになかったのは、俺が床下に潜んでいることだ。林も腐れ刑事も店内に俺が残っているとは思っちゃいねえ。いくら手を組んだっつっても、途中で裏切ることは十分にあり得るからよ」
 直美がしてやったりの顔で言った。
「どうして俺に教えてくれなかったんですか!」
 譲二は思わず強い語調になった。
「危険に巻き込まれると思ったから話さなかったのによ、余計なことして結局は俺の手間かけやがって」
 直美が呆れたように言った。
「じっとなんかしてられませんよ! 直さんは絶対に海東を警察の手に渡さないと思ってたから、なんとか止めなきゃって……もう、寿命が十年は縮みましたよ。下呂が海東を逮捕したのも意外でしたが、直さんが下呂に任せたのはもっと意外でした。でも、これでよかったんです。海東のことなんて忘れて、早く海外で『ちょこれーと屋さん』を……」
「おう、どのくらいで戻ってこられる? 十五分? わかった。早く連れてこい」
 直美が誰かにかけた電話を一方的に切った。
「誰に電話をかけたんですか?」
 譲二は訊ねた。
「腐れ刑事だ」
「下呂に? どうして下呂にかけたんですか? 誰を連れてこいって言ったんですか?」
 胸騒ぎがした――嫌な予感が胸の中で膨らんだ。
「海東に決まってんじゃねえか」
 直美がニヤニヤしながら言った。
「海東!? どうして海東を連れてこいなんて言うんですか!?」
 嫌な予感が譲二の胸で急速に膨らみ続けた。
 直美は譲二の問いかけを無視してソファから立ち上がった。
「待ってください!」
 譲二は慌てて直美のあとを追った。

(第28回へつづく)