譲二は大久保通り沿いの雑居ビルに視線を巡らせながら歩いていた。

 ――一階に「五爪龍」という韓国焼肉店のあるビルを捜すんじゃ。

 脳裏に蘇る先生の声に従い、譲二は韓国焼肉店の入った雑居ビルを捜した。
 住所では、このあたりのはずだった。
 譲二は足を止め、首を巡らせた。
 三軒先の雑居ビルの一階。店舗用の赤いテントに黄色の文字――「五爪龍」。
 譲二は上を見た。
 三階の窓ガラスに印刷された「青空託児所」の文字で視線を止めた。

 ――三階に託児所がある。そこに取り引き日まで白いお宝を眠らせておるそうじゃ。
 ――託児所に覚醒剤をですか!?
 ――そうじゃ。一番覚醒剤と結びつかない場所を選んだのじゃろう。
 ――でも、託児所なんかにどうやって覚醒剤を隠すんですか?
 ――託児所に預けている子供の母親の一人が、「東神会」の組員の妾なんじゃよ。
 ――つまり海東が組員の愛人に命じて、託児所に覚醒剤を隠させたということですか?
 ――そういうことじゃ。
 ――そんな情報、誰から仕入れるんですか!?
 ――馬鹿もんが! 情報源を明かすわけがなかろうが! まあ一つだけ言えるのは、欲深き人間というのは自分のほしい情報を得る代わりに他人の情報を簡単に売る生き物ということじゃよ。

 子供の泣き声が、譲二の回想の扉を閉めた。
「ごめんね、すぐに迎えにくるからね」
 水商売と思しき派手な身なりの女性が、二、三歳の泣きじゃくる男児の手を引きビルのエントランスに入った。
「青空託児所」に子供を預けにきたのだろう。
 場所柄、夜の商売の母親が多いに違いない。
 譲二もエントランスに入り、エレベーターに乗った。
 三階のボタンを押した。

 ――海東は北九州の組を相手に、三十キロの覚醒剤を捌くそうじゃ。末端価格にして二十五億円になる。
 ――二十五億円!?
 ――組には内密だから、海東の懐に丸々入るはずじゃ。まあ、組長が知ったところで海東にはなにも言えんがの。
 ――じゃあ、二十五億円分の覚醒剤が大久保の託児所に隠されているってことですか!?
 ――そういうことになるのう。三十キロぶんじゃから、わけて運び込んどるはずじゃ。

 譲二は先生との会話を思い返しながらエレベーターを降りると、パンダや子犬のイラストが描かれたガラス張りのドアの前で足を止めた。
「失礼します」
 譲二は言いながらドアを開けた。
 ヨガマットが敷き詰められた十畳ほどのスクエアな空間で、四人の幼児がレゴやお絵描きをして遊んでいた。
「こんにちは」
 三人いるうちの一人――二十代前半と思しき童顔の保育士が、人懐っこい笑みを浮かべて譲二のもとに歩み寄ってきた。
「あの、こちらに子供を預けたくて伺ったのですが」
 譲二は用意してきた言葉を口にした。
「お子様はおいくつですか?」
「三歳の男の子です」
 これもシナリオ通りの言葉だ。
「いつからのご利用を考えていらっしゃいますか?」
「こちらが大丈夫なら、すぐにでもお願いしたいのですが……」
「お預かりの時間帯のご希望を教えて頂けますか? 深夜はいま一杯で来月まで空きがないのですが、午後六時までの時間帯でしたら明日からでも大丈夫です」
 保育士が言った。
「よかった。午前八時から午後五時までを考えていました。少し見学してもいいですか?」
「もちろんです。どうぞ、お入りになってください」
 譲二はスリッパに履き替え、保育士の背中に続いた。
「こちらがプレイルームです」
「遊ぼ!」
 四、五歳の男児がおもちゃの剣を手に、譲二に寄ってきた。
「ミッちゃん、だめよ。おねえちゃんと遊ぼう。すみません」
 別の保育士が譲二に笑顔で頭を下げ、男児の手を引いた。
 ここに三十キロの覚醒剤が隠してあるとは、俄かには信じられなかった。
 譲二は首を巡らせた。
 プレイルームにはおもちゃを入れるカラーケースが五つ、カラフルな箪笥が二つあるだけだった。
 箪笥にはそれぞれ引き出しが四つ。袋に分けた少量の覚醒剤なら、隠せないこともない。
「殺風景でしょう? 子供達が怪我をしないように、あまり物を置かないようにしています」
 保育士が説明した。
「こちらで、子供達の食事を作ります。おやつにパンケーキを焼くこともあります」
 保育士がカウンター越しの三畳ほどのキッチンに右手を向けた。
「子供達、喜ぶでしょうね」
 譲二は言いながら、キッチンに視線を巡らせた。
 シンクの上下の収納スペース、冷蔵庫。
 隠せるとしたら、そんなところだ。
「ちょっと入ってもいいですか?」
「もちろんです」
 保育士が疑うことなく譲二をキッチンに案内した。
 収納スペースも冷蔵庫も開けて見なければわからない。
 もっと自由に見学できると思っていたので、保育士がついて回るのは予想外だった。
 海東の取り引きは明後日だ。
 もたもたしてはいられない。
 リスクは高いが、奥の手を使うしかなかった。
「大声を出さないで聞いてくださいね」
 譲二は保育士の耳元で囁いた。
「え?」
 唐突に切り出す譲二に、保育士が怪訝そうな顔になった。
「実は私、麻薬取締官なのです。この託児所に覚醒剤が持ち込まれているとの情報が入り、極秘捜査にきました」
 譲二は腹話術師のようにほとんど唇を動かさずに言った。
「麻薬取締……」
「お静かに。気づかれたらまずいですから」
 譲二は人差し指を口に立てた。
「最初に断っておきますが私達は刑事と違い極秘捜査が主なので、身分証を持ち歩いてはいません」
「誰が……覚醒剤なんかを持ち込んだのですか?」
 保育士が震える声で訊ねてきた。
「反社会勢力と繋がっている母親がいるようです」
「え!? ヤクザと繋がっているママが……」
「声が大きいです」
 ふたたび、譲二は保育士を遮った。
「まだ確定したわけではありません。それを確認するための極秘捜査ですので、ご協力ください」
「私はなにを協力すればいいのですか?」
 保育士が不安そうな顔を譲二に向けた。
「私が収納スペースや冷蔵庫をチェックする間、ほかの保育士さんには見学しているふうに見えるようにしてください」
「では、所長に許可を貰って……」
「だめです。誰が反社会組織と通じているかわかりませんから」
 譲二は保育士を遮り言った。
「まさか……ウチに協力者がいるということですか?」
 保育士が強張った顔で訊ねてきた。
「わかりません。ただ、ありえないことではないです。子供を預けている母親が、覚醒剤の運び屋になっているくらいですから」
「わかりました……」
 保育士が力なく頷いた。
 譲二は早速、シンクの下の収納扉を開けた。
 フライパン、鍋、ボウル、皿、ゴミ袋……。
 覚醒剤らしきものは見当たらなかった。
 次にシンクの上の収納扉を開けた。
 調味料、蜂蜜、コーヒー、紅茶、小麦粉、脱脂粉乳……。
 やはり覚醒剤らしきものは見当たらない。
 冷蔵庫も食材が入っているだけだった。
 キッチンにはほかに、覚醒剤を隠せるような場所は見当たらない。
 天井裏や床下、または壁の中ということも考えられるが、託児所自体が「東神会」とグルでないかぎり愛人一人では不可能に近い。
「トイレに案内してください」
「こちらへ」
 保育士のあとに譲二は続いた。
 貯水タンク、収納スペース……。
 トイレにも覚醒剤らしきものはなかった。
 次に風呂場もチェックしたが、なにも出てこなかった。
「なにかの間違いじゃないでしょうか? ウチに覚醒剤なんて……」
「子供達が寝る部屋はありますか?」
 譲二は保育士に訊ねた。
「ありますけど」
「案内してください」
 譲二は踵を返す保育士のあとに続いた。
「こちらです」
 保育士は言いながら、プレイルームを仕切っているアコーディオンカーテンを開けた。
 六畳ほどの空間に五台のベビーベッド、床には五枚の布団が並べられていた。
 幸いなことに、寝ている乳児も幼児もいなかった。
 譲二は真っ先にクロゼットを開けた。
 おむつシート、布団、トイレットペーパー、ティッシュペーパー。
「調べますね」
 譲二は保育士に断り、おむつシート、トイレットペーパー、ティッシュペーパーを手に取りそれぞれの重さをたしかめ、四組の布団を取り出した。
 クロゼットの中も問題はなかった。
 いや、問題がなくては困る。
 もしかして、先生のガセなのか?
 金を引っ張るためのでたらめか?
 それはない。
 先生がインチキ占い師なら、いま頃会員のヤクザに消されているだろう。
 必ずどこかに白い宝物・・・・があるはずだ。
 譲二はクロゼットから出した物を元通りに戻し、ベッドルームに視線を巡らせた。
「あらぁ、りんちゃん、いらっしゃーい」
 プレイルームのほうから、別の保育士の甲高い声が聞こえた。
 譲二はアコーディオンカーテンから顔を出し、玄関の様子を窺った。
 来客は二、三歳の女児を連れた茶髪の若い女性だった。
「これからパパの会社に用事があって、運転手の方と一緒にきているんですけど、入ってもいいですか?」
「もちろんです!」
「いいって」
 ほどなくして玄関に現れたガタイのいい男性を見て、譲二は息を呑んだ。
「失礼します」
 柔道体形の巨漢――若頭補佐の林が保育士に会釈した。
 いつものスーツ姿ではなくポロシャツにデニムというラフな格好は、運転手役を演じるためのものだろう。
「荷物が多いから、一緒にベッドルームにきてくれる?」
 茶髪女の言葉に、譲二の脳みそが粟立った。
「よく聞いてください。あの大男はヤクザです。運転手を装い覚醒剤をチェックしにきたんだと思います」
 譲二は早口に言った。
「ヤクザ……」
 保育士の顔から血の気が引いた。
「私は帰りますけど、録音状態にしたスマホをクロゼットに置いてゆきます。近くの『アマンダ』というカフェで待ってます。彼らが帰ったらスマホを回収して持ってきてもらえますか?」
 譲二は言いながらスマートフォンのレコーダーアプリを立ち上げ、クロゼットの布団の上に置いた。
「わ、わかりました……」
「バレないように普通に対応してください」
 保育士が青褪めた表情で頷いた。
 譲二は平静を装っているが心臓は張り裂けそうに高鳴り、膝が震えていた。
 ニットキャップ、伊達眼鏡、髭で変装してきて正解だった。
 もし素顔だったら……。
 考えただけでぞっとした。。
「じゃあ、出口まで送ってください」
 譲二が言うと保育士がプレイルームに出た。
 茶髪女と林が入れ違いにベッドルームに向かってきた。
 五メートル、四メートル――激しくなる動悸。
 三メートル、二メートル――高まる心拍数。
 譲二はいつでもダッシュできる心構えでいた。
 一メートル――林がすれ違い様にちらりと譲二に視線をやったが、すぐに顔を正面に戻した。
 無事に擦れ違った譲二は、安堵の吐息を漏らした。
「どうもありがとうございました」
 沓脱ぎ場でスニーカーを履いた譲二は保育士に頭を下げた。
「では、よろしくお願いしますね」
 譲二が目顔で訴えると、保育士が強張った笑みを浮かべて頷いた。
 託児所を出た譲二は、エレベーターを使わずに階段を駆け下りた。
 譲二はエントランスを飛び出し、二、三十メートルを全力疾走した。
 自動販売機に手をつき、譲二は激しく肩を上下させた。
 波打つ背中――急に走ったので何度もえずいた。
 両膝も貧乏揺すりをしているように震えていた。
 緊張の糸が切れた瞬間に、恐怖が一気に押し寄せてきた。
 林は明後日の取り引きに備えた海東に命じられ、覚醒剤の確認をしにきたに違いない。
 託児所で証拠を発見できなかったが、林と茶髪女が覚醒剤についての会話をしてくれれば警察が動くだけの材料になる。
 音声の主の林はすぐに逮捕されるだろうが、海東を捕らえるには数日は必要だ。
 だが、ホストクラブでの取り引きは中止になり、直美が乗り込む心配はなくなる。
 託児所で三十キロの覚醒剤が発見されれば、いくら海東でも逃げ切るのは不可能だ。
 ほぼ一千万を使ってしまったが、直美の命を救えたと思えば安いものだ。
 まだ、気は抜けない。
 託児所に覚醒剤を隠していることを林と茶髪女が話さなければ、警察を動かすことはできないのだ。
 なにはともあれ、保育士からスマートフォンを受け取るのが先決だ。
 譲二は「アマンダ」に向かって足を踏み出した。
 海東にはもちろん、譲二の動きは下呂にも漏れてはならない。警察組織にいるぶん、下呂のほうが厄介だ。
 一台のバンが譲二を追い抜き路肩に停車した。
「プライベート看護サービス」の文字が車体に印刷してあった。
 バンのスライドドアが開いた。
 セカンドシートからケーシージャケット姿の男が降りてきて、譲二に歩み寄ってきた。
「あの、すみません。ここらへんに斎藤様という方のお宅はありますでしょうか?」
 男が訊ねてきた。
 在宅看護の家を捜しているのだろう。
「生憎、このへんの土地勘がなくて……」
 首に衝撃――全身に電流が走った。
 バンから飛び出してきた別の男と二人がかりで、譲二は車内へ連れ込まれた。
 身体が痺れて抵抗することもできなかった。
「よう、パンチネズミ。忘れ物を届けにきたぜ。あ、麻薬取締官様だったか?」
 シートにふんぞり返っていた巨漢――林がニヤニヤしながらスマートフォンを譲二の鼻先に突きつけた。
「ど、どうして……」
 譲二の脳内が白く染まった。

(第25回へつづく)