フィンランドから帰国して3ヶ月、私は奔走していた。『小杉湯夏至祭』を実現させるために。



 2018年2月、真冬のフィンランドで私は“ととのい疲れ”を起こすほど公衆サウナに入りまくっていた(詳しくは当連載12、13回にて)。フィンランドの公衆サウナは一時期隆盛を極めたものの、家庭用のサウナが普及したことで衰退の一途を辿っている。それは日本の銭湯の光景と全く同じだ。その上、建物の構造やその場に居合わせる人々の雰囲気までも公衆サウナと銭湯は似通っていた。遠い国でありながらどこか似ている所に愛おしさを覚え、帰国したら両者の魅力を届けるイベントをしたいと思ったのだ。大好きなものを所構わず布教したくなるのはオタクならではの性である。

 浴室の空き状況や仕事の予定をみるとちょうど夏頃に大きなイベントができそうだったので、フィンランドの夏の催し“夏至祭”に合わせて『小杉湯夏至祭』を行うことになった。フィンランドの夏至祭は、家族らと共に都会を離れ、ハイキングや湖畔でピクニックを楽しむなど自然の中で時間を過ごすことだ。小杉湯夏至祭では、お風呂にフィンランドにちなんだ白樺の入浴剤を入れて、待合室には公衆サウナの写真や絵を展示するなど、小杉湯のお客さんに公衆サウナとフィンランドの魅力を感じてもらう細やかなイベントを考えていたが、『小杉湯夏至祭』は思いも寄らぬ方向へ転がり出した。



 夏至祭を企画したのと同時期、小杉湯3代目の平松さんと共にオンラインサロン「銭湯再興プロジェクト」を立ち上げた。既存のオンラインサロンとは異なり、私自身もサロンの一員として月々お金を支払い、溜まった資金を元手に銭湯文化を盛り上げる活動を行う、いわば部活動のようなものだ。銭湯再興プロジェクトの初回で、各人の銭湯でやってみたいことを披露しあい、私は夏至祭を企画していることを話しあった。小規模なイベントといっても写真を展示したり入浴剤を準備したりするのはなかなか一苦労なので、手伝ってくれる人が少しでもいたらいいなぁ……と思ったら、多くのメンバーが手を上げてくれて、あれよあれよという間に30名程が集まっていた。

 おや……こんなに協力してくれる人がいるなら、もっと面白いこともできちゃうんじゃない?

 それならトークイベントや、浴室にヴィヒタを吊るしたりオーロラをイメージした飾りつけをしたり、何なら小杉湯の裏の空き地でサウナグッズのマーケットもしたいし、テントサウナも建てたい! 急遽現れた強力すぎる仲間を前に欲はムクムク膨れあがり、夏至祭は間違いなく小杉湯史上最大規模のイベントに変貌した。私は“絶対成功させたるで!”と鼻息荒く燃え上がった。

 

 

 プロジェクトを進めていくうち、ありがたいことにイベントに賛同してくれる人が続々と現れて夏至祭の規模も更に広がっていった。気づくと開催日は2日から3日になり、サウナマーケットには10の団体が出店し、なんとフィンランド大使館とフィンエアーが後援して下さることになった。当時はサウナに注目が集まりつつもブームになる手前だったので、こんなに多くの方が協力して下さるのは本当にありがたかったのだが、もうイチ銭湯の細やかなイベントだなんて言っていられない状況だ。絶対失敗させないぞ……とさらに意気込み、計画に穴がないか血眼で何度も確認した。

 そうして神経を尖らせてプロジェクトを進めていたある日、何かが弾けた。夏至祭の準備の状況をメンバーに説明している時に、前触れなく涙が溢れてしまったのだ。



 えっなんで恥ずかしい!



 どうして涙が出たのか自分でも訳が分からず、話を切り上げて廊下に出た。早く止めて戻らないと……袖で顔をグシャグシャに拭っていると、メンバーのひとりが部屋から飛び出してきた。



「塩谷ちゃん、抱え込んでいたんだね……あとは皆で分担しよう! 任せて!」



 笑顔で言い切るその子の顔をみて、私はプロジェクトリーダーだからとひとりで頑張りすぎていることに気づいた。今抱えている仕事を包み隠さず話すと、私の仕事はあっという間に分配されすっかりなくなっていた。



「え、待って、私何をすればいいの!」

「塩谷ちゃんはいっぱい頑張ったから無職で!」



 リーダーから無職かよ。清々しいほどの降格で爆笑してしまった。でも、全然嫌じゃないなぁ。進行役が変わった打ち合わせを、ホッとした気持ちで一番後ろから眺めていた。



 夏至祭は6月22日から3日間行われた。展示の目玉となるのは、植物アーティストのACCO SUZUKIさんによる“フィンランドの森と湖”をテーマにした植物のインスタレーションだ。本物の白樺と様々な植物を浴室の壁や天井に吊り下げ、オーロラをイメージした照明で照らすことで、フィンランドの木々に囲まれながらお風呂を楽しめる空間が実現された。さらに、あつ湯と水風呂には白樺の葉を、ジェットバスにはフィンランドでよく採られるミックスベリーの茶葉を入れて、フィンランドを感じられるお風呂を用意した。待合室には私が描いた公衆サウナの絵や銭湯図解を飾り、銭湯と公衆サウナの似通っている部分や、夏至祭の趣旨を伝える場所にした。

 最終日には営業時間前の小杉湯の浴室と、裏手の空き地を解放して特別イベントも実施する予定だ。浴室では、午前中にサウナでヨガを教えているインストラクターさんによるヨガイベント、お昼にはサーモンスープなどのフィンランドフードを楽しめる食事会、午後には私とこばやしあやなさんによるトークイベントを行った。空き地では、サウナやフィンランドにまつわる複数の団体さんにご出店いただき、サウナグッズやフィンランド産のグッズや料理が並ぶマーケットを開催。グッズの出店だけでなく、軽トラを改造してサウナを導入した“サウナトラック”や、テント型のサウナ“テントサウナ”も並び、空き地とは思えないほど立派なイベントスペースとなるだろう。無職だった私も、最終日はトークイベントに登壇したり取材を受けたり全体の流れをみたりと、大忙しな1日になる。



 いよいよ最終日。イベント準備は早朝から始まった。15時半から通常営業となるので、イベント前に浴室の開店準備を済ませておく必要がある。朝早く小杉湯の裏手にあるガスバーナーにスイッチを入れ、湯量や温度を調整する“自動制御板”を手動で調整する。いつもなら自動制御板でお湯張りまで自動で行われるのだが、今日は時間外にお湯張りをするので手動だ。バーナーに火が入り温められたら、浴槽にお湯が入り始める。最初の調整だけ手動だが、その後は全て自動で行われるので、浴室のマットを掃除したり水風呂を洗ったりして開店準備を進めていたところで事件が起きた。



「塩谷ちゃんーー!! なんか、水がすごい溢れて床びしゃびしゃなんだけど!」



 夏至祭スタッフの声が飛んできて大慌て裏に回ると、いつも少量の湯が溜められている貯水槽から、冷たい水がジャブジャブ溢れ出ている。



 え!? なんだこれ!!!!

 全く初めての経験に頭が真っ白になる。原因を探ってみるもさっぱり分からない。他の小杉湯スタッフに助けを求めたかったが、朝早すぎて絶対全員寝ている。パニックになりつつ、溢れ出た水をバケツですくったり、制御板のツマミをいじってみたりしても全く止まらない。しかも湯ではなく水。これはもう致し方なしと、バーナーのスイッチも制御板のスイッチも完全にオフにすると、ようやく水の勢いが収まった。同時に、順調に浴槽に溜まっていたお湯もイチからとなってしまった。



 ヤバイ……これはもう営業時間に間に合わないかもしれない……。



 ちょろちょろ水が溢れる貯水槽の前で呆然と立っていると、念のため早く来たらしい3代目が驚いた顔で現れて諸々調整してくれた。どうやら、最初の制御板の操作で、ツマミの一つが逆に回っていたらしい。完全に私のミスだ……。



 幸い、開店準備の手順を少し変えることで間に合った。落ち込む気分はありつつも、イベントは待ってはくれない。その後は、トークイベントであやなさんと公衆サウナと銭湯の魅力を語り、メディアのインタビューに対応し、出店してくれたマーケットの人たちに挨拶をするなどして過ごしたが、正直今思い返そうとしても断片しか浮かばない。朝の落ち込みなど、早々に忘れてしまうほど凄まじく忙しい1日だった。

 

 

 夏至祭も終わりに近づき、気がつくとすっかり夜もふけていた。全身疲労たっぷりで指一本動かすのもダルい。それでも最後に、お風呂だけは入っておこうと重い体を引きずって木の香りをほのかに感じる白樺の湯に浸かる。夏至祭の余韻が残る浴室の装飾を眺めながら、ようやく肩の力が抜けて今日のことを少しずつ思い出した。

 トークイベントで公衆サウナと銭湯の共通点を興味深く聞いてくれた人、日本で珍しいフィンランド料理を提供できて嬉しかったと言ってくれたカフェ“キエロティエ”さん、マーケットで楽しそうにサウナグッズを物色するサウナ好きたち。

 その中でとても印象深かったのは、常連のおばあちゃんが、待合室の公衆サウナの写真をじっくりみていたことだ。公衆サウナと銭湯が似ていることや、私がフィンランドで感じたことが、おばあちゃんにどれだけ伝わったかは分からない。でも、フィンランドの公衆サウナを知らない人に、こんな世界があるということを届けられたのは価値があったと感じたのだ。

 夏至祭がすぐに何かに繋がるとは思っていないし、楽しかったとだけ感じてもらうのもいいと思う。でも、テレビでフィンランドをみた時やサウナを目にした時に、今日のことを少しでも思い返してもらえたら、それだけで大成功だ。おばあちゃんの横顔を思いだし、これは大成功だったなあと白樺が匂い立つ湯気の中でひとりにんまりと笑みを浮かべた。

 

(第15回へつづく)