サウナ好きの聖地・フィンランドに来て四日目。既に三日間で五つのサウナに入った。サウナと聞くと目の色を変えるサウナバカと自負しているが、流石に一日二回もサウナに入る日々は疲れてきた。幾重にもコートを羽織っているような体の重さで、歩いているとそのまま雪に沈んでしまいそうだ。“SAUNA ARLA”の看板を見つけるなり疲れはふっ飛び、無意識に駆け出していた。



 サウナアルラ(SAUNA ARLA)は、ヘルシンキ市内のカッリオ地区にある公衆サウナだ。カッリオ地区の住民はアートやサブカルに精通している若者が多く、あやなさん曰く“ヘルシンキの高円寺”。アルラは七階建の集合住宅の一階にあり、集合住宅の中庭側にある灰色の扉の前では、タオルを巻いた半裸の人々が湯気を纏いながら談笑していた。フィンランドサウナあるあるの光景である。半裸の人を横目に中に入りフロントに声をかけると、スキンヘッドのナイスミドルが小窓から少し口角を上げてウィンクしてきた。

 フィンランドのサウナに、こんな伊達男がいるなんて……!

 あまりにキザな仕草に圧倒されて、何か思うより先に感動してしまった。





 その伊達男は、支配人のキンモさんだ。キンモさんは、ニューヨークやヘルシンキ市内でテントサウナのイベントを行ううちに、サウナこそフィンランドのアイデンティティだと気付いたそうだ。そのころ、サウナアルラが閉店しかけていることを知り、2006年に引き継いだ。アルラは二階建てで、一階はフロントと女性サウナ室、フロント脇の螺旋階段を昇った先にある二階が男性サウナ室だ。ちなみに以前は一階が男性側だったが、サウナ室内の飲酒を禁じているにも拘わらず窓の外から酒を持ち込む人が多すぎて入れ替えたそうだ。なお、二階になっても、窓から紐を使って下ろした籠に酒を入れてもらって持ち込む強者もいたとのこと。フィンランド人強すぎる。

 アルラは手前にシャワーがあり、その奥にサウナ室がある構造だ。ここのサウナ室も他のサウナ同様、部屋の隅が見えないほど薄暗い。フィンランドのサウナ室は灯を控えめにする法律でもあるんだろうか。ベンチはL字型に置かれており、コティハルユサウナのように石の階段の最上段にスノコが敷かれている。熱々に熱せられた階段をアッチアッチィと登り、スノコに腰掛けるとじわっと汗が出てきた。日本に比べて温度は低めだけど、湿度がムンムンなのですぐに汗が出る。急激な熱さで体温を上げるのでなく、適度な湿度と温度で自然に汗をかくスタイルは体に無理がない感じがして、すごくいい。

 アルラももちろん、セルフロウリュが可能だ。サウナ室の端にあるのは、お馴染みの焼却炉のようなドでかいストーブ。入り口脇に置かれた長い柄杓の先で、ストーブの中央にある扉をそっと開けると、熱風が飛び出してきた。ギャーッ! 熱い! バケツの水を柄杓ですくい、扉の奥にある焼け石に水をかけた。ジュワアア……! 途端にストーブの上部から大量の蒸気が立ち上り、白樺の瑞々しい香りが広がる。バケツの水に白樺のアロマが混ざっていたようだ。熱い蒸気の風と白樺のフレッシュな香り……ああ、たまらない……やっぱり熱の塊でぶん殴られるようなサウナも最高だぜ!

 シャワーで軽く汗を流してから、バスタオルを巻いて中庭へ出る。そこにはベンチが二つ並び、飲み水とミニトマトが置いてあった。なんでトマト?? 試しに口に含んでみると、酸っぱさと少しの甘さが口の中にジュワッと広がった。ウワ……! サウナ後の火照った体にすごい滲みる…!! トマトは少し苦手だったが、バクバクおかわりしてしまった。日本に帰ったら、貸切サウナでミニトマトを持ち込んでみようかなあなんて思いつつ、体の熱が冷める時間を楽しんだ。

 

 

 フィンランド旅行も五日目と終盤に差し掛かった。最後に立ち寄ったのはサウナセウラ(Sauna Seura)。フィンランドサウナ協会が運営するサウナだ。本来は会員制のサウナだが、あやなさんのツテで特別に入らせていただくことになった(あやなさんその節は本当にありがとうございました!)。サウナ好きが聖地と崇めるフィンランド、その中でもサウナに精通するサウナ協会の方々運営するサウナ……つまりここがサウナ総本山……!! まるで大好きなミュージシャンに会えるような心地だ。嬉しさと緊張でいっぱいで、セウラに向かう道中はドキドキしすぎて吐きそうだった。

 セウラは海に面しており、一軒家のような外観だ。ロッカー室、シャワー室、食事も楽しめる休憩室もあり、サウナはなんと七種類! しかもスモークサウナ四種類、薪サウナ二種類、電気サウナ一種類という熱源の違いを楽しめる通好みの仕様だ。日本なら、塩サウナやドライサウナと温度も効能もわかりやすく違うのだが、セウラの内装は木で統一されている上に、温度の違いは非常に微細だ。サウナ室内部も、窓が設けられているか部屋がちょっと広いかという違いでしかない。しかし、現地の奥様がたは「四番のサウナ室はやっぱりいいわねえ」などと言っていて、その細かな違いがわかる感じがめちゃくちゃかっこよかった。ちなみに私は全部気持ちよくて最高だった。感覚がバカ。

 さらなるセウラの魅力は、目の前の海に飛び込めるところだ。―5℃の空気に包まれながら桟橋を下りて、穴(アヴァント)から凍った海に入ることができる。サウナでたっぷり汗をかき、カチカチに凍る梯子をそろりそろりと下って足先を海につけてみる。飛び上がるほど冷たい。氷の上を歩いているような冷たさだ……! 覚悟を決めて肩まで一気に浸かる。冷たいのを通りこして痛いというか、経験したことのない衝撃を全身で受けているのをただ感じる。あっ、これヤバイやつだ……! 日本で散々冷たい水風呂に入ったことはあるが、全然レベルが違う。水風呂で痛いなんて聞いたことがない。イタタタと叫びながら外に飛び出し必死で体を擦ると、不思議なことに十歩あるいた頃にはすっかり体が温かい。体の芯は冷たく、喉元をとおる冷気、脱皮したような体の軽さ、脳に溢れる幸福感。

 サウナ総本山、たまんね~!!!!

 本場の質の良いサウナ、0℃の海、―5℃の外気浴。どれか一つでも失ったら得られない奇跡のような気持ちよさだった。今までになくバッチリ昇天した。ちなみに三年たった今でも、これを越えるサウナに出会ったことがない。早くまたフィンランドに戻りたい。



 建物の軒下のベンチで、だらしない顔で外気浴を楽しんでいると、フィンランドの奥様が私の様子を見てフッと笑い、こんな一言を残して去って行った。



『アウトゥアス』



 フィンランドにきて数日たつが、初めて聞く言葉だった。その後、あやなさんに聞いてみたら、“身も心も満たされる”という意味らしい。

 それって“ととのう”じゃん……!

 でもとても古い言葉だから使っている人は少ないらしい。しかしフィンランド語でサウナの言葉を知られたのはいいなあ……と思い、忘れないように何度もアウトゥアス、アウトゥアスと口に出していた。

 余談だが最近キンモさんとのメールに“totonotta”という言葉が自然に使われていて笑った。ととのった、輸出されてるんかい。



 骨の髄までぐにゃぐにゃになるほどサウナを楽しんだあとは、休憩所へ。窓からは、雪を被った海とそこに飛び込む人々、枯れた木が数本見える。休憩所の中央には大きな暖炉があり、その周りに置かれた椅子に座った。フィンランドで買ったマリメッコのフワフワガウンを纏いながら暖炉の火を眺めていると、もう溶けてしまいそうな心地よさだ。

 

 

 暖炉にあたりながら、あやなさんと色んなことを話した。中でも一番アツい話題は、公衆サウナと日本の銭湯の共通点についてだ。どちらも一時期隆盛を極めたが、家庭用のサウナや風呂が普及したことで現在は衰退しており、遠い国でありながら同じ運命を辿っている。事前にあやなさんからその話を聞いていたが、実際に体験してみると二つの文化がびっくりするほど似ていることに驚いた。フロントやロッカーといった設備面も似ている。しかし、それ以上に過ごしている人の雰囲気がそっくりなのだ。ビールを飲んでいると笑顔で見守っている人や、サウナでベラベラ話している常連さんや、フロントでお客さんと立ち話をしているスタッフさんを見ていると、どうしても日本の銭湯で過ごす人たちを思い出してしまう。こんなに離れた土地で全く違う文化なのに、同じような表情で同じように過ごす人々がいるなんて、とても不思議だ。

 銭湯は少しずつ数を減らしている。後継者不足、利用者の減少、燃料費の高騰など理由は様々だ。フィンランドの公衆サウナも同じ状況にあるが、公衆サウナを担う人々は、新たな活路を見出していると感じられた。フィンランドで体験したことを、日本の銭湯を通して伝えることは何か意義があるんじゃないか。銭湯を担う者として、旅の最後にそんな風に考えたのは自然なことだったと思う。何より、ここまで似ている文化を日本の人々に伝えたいと純粋に思ったのだ。



 そんなことを考えつつ、フィンランドでの六日間の旅は終わった。ヘルシンキ空港まで送ってくれたあやなさんとは、なんだかすぐにまた会えるような気がした。日本に帰ってからの未来にワクワクしながら、私は搭乗口に向かった。