ストリートの旅

 

 この原稿を書くために、カナダやバンクーバーの旅行ガイドや何冊もの雑誌をめくってみたが、その場所のことはなにもわからなかった。石造りの古い建物で、丸いドーム屋根の下に「パブリック・ライブラリー」と書いてあったはずだが、ネットで検索しても違う図書館の写真しか出てこなかった。場所もだいたい見当がついているのに、地図を調べてもわからない。そこで、ストリートビューに切り替えて、バンクーバーへ行ってみることにした。

 記憶を頼りにかなりうろつきまわってみたが、バンクーバーは広い町だ。気晴らしに観光名所を散策しているうちに、日系移民の野球チームを題材にした『バンクーバーの朝日』という映画があったのを思い出した。

 英語とフランス語が公用語で、先住民の歴史があり、移民も多いカナダは、多文化主義の国として知られている。「ウェストミンスター憲章」や「1982年憲法」についての説明は割愛するが、外務省のウエブサイトで確認すると、オーストラリアと同様に、「イギリス連邦加盟国」だった。

 またストリートビューに戻り、ダウンタウンのあたりを歩いていると、建物の壁にスプレーでグラフィティーが描かれたストリートに辿り着いた。

 一本通りを間違えれば、まったく別な町に迷い込んでしまうのは、日本以外の都市ではよくあることだ。そのまま通りを歩いて行くと、交差点の角に見覚えがある「カーネギー・コミュニティー・センター」が建っていた。

 その名の通り、元々はアメリカの大富豪カーネギーが100年以上前に造った図書館だった。紆余曲折を経ながらも、今でも地域の様々な活動を支えている公共圏だった。
 

バンクーバー・ダウンタウン

 

 緑豊かな木々と、美しい入り江に囲まれた、森と水の都バンクーバー。

 この街を訪れる多くの観光客と同じように、僕もはじめはそう思っていた。仕事のついでに訪ねたバンクーバーの、ダウンタウンに足を踏み入れるまでは。

 今思い返せば、空港から電車に乗り、ダウンタウンに近い駅で降りて改札を出た時から、この街が普通ではない兆候はあった。がらんとした人けのない大通りで、最初に目についたのは、「ロック・ショップ」という名の大きな倉庫のような店だった。

 とりあえず中に入ると、体育館のような建物の壁に、ところせましとロックバンドのTシャツが吊るしてあった。なるほど。バンクーバーはロックな街なのか? と思った僕は、ピアスをじゃらじゃらつけた暇そうな店員のお姉さんから、メタリカのTシャツと銀色の四角い鋲がついた革のベルトを買った。どこから見ても筋金入りのロックな中年ジャパニーズに変身した僕は、クレジットカードで会計をする間に、ピアスをじゃらじゃらつけた店員のお姉さんに尋ねてみた。

「チャイナタウンはどっちに行けばいいわけ?」

 僕の格好をしげしげと見つめながら言った。「あっちのほうだけど」。言われるがままに、僕は真昼のくそ暑いバンクーバーの通りを歩いていった。

 チャイナタウンへ行こうと思ったのは、ロサンゼルス経由の機内食にうんざりしていたからだ。僕が持っていた旅行ガイドには、「バンクーバーのチャイナタウンには美味しいレストランがたくさんある」と書いてあった。

 そのまま通りを歩いていくと、チャイナタウンにたどり着く前に、坂道に店が並ぶ別な通りに差しかかった。

 僕の旅行ガイドによると、どうやらここは、「バンクーバーでも美味しいレストランが並ぶアップタウン」らしい。

 このくそ暑い中、チャイナタウンまで歩くのをとっとと諦めた僕は、通りを曲がって坂道をのぼっていった。

 繁華街に差しかかると、英語よりも別な言語の看板ばかりが目立つようになった。通りを歩いている通行人の半分ぐらいは、おしゃれな格好をしたアジア系の若者ばかりだ。そういえばある友人から、治安のいいカナダには、留学生が多いという話を聞いたことがあった。

 坂道の途中でタイ料理のレストランを見つけて中に入ると、ちょうど昼食時とあってか、スーツ姿のビジネスマンや学生たちで混み合っていた。空席を見つけてとりあえず食事を終えた僕は、伝票を持ってきた留学生とおぼしきウエイトレスのお姉さんにまた尋ねてみた。

「ほんとはチャイナタウンへ行こうと思ってたんだけど?」

 彼女は僕の格好とテーブルに開いてあった旅行ガイドをまじまじと見つめると、サインした伝票を受け取ってそそくさと別なテーブルのほうに去っていった。その姿を眺めながら、僕はどうしてもチャイナタウンへ行ってみたくなった。トラヴェラーの性というものか? いや、作家たるもの、行きたい時に行きたい場所へ行くのが仕事のひとつに決まっているじゃないか。

 そう思いながらレストランを出た僕は、アップタウンの道を下り、ロック・ショップがあった最初の通りに戻った。

 旅行ガイドに書いてあるとおりなら、このまま道をまっすぐ歩いていけばチャイナタウンへ出るはずだ。タクシーでもつかまえようかとも考えたが、そもそも車がほとんど走っていないのですぐに諦めた。僕はまたくそ暑い通りを、チャイナタウンがあるはずの街の中心部の方角へ歩いていった。

 それから三十分ぐらい歩いただろうか。ふと気がつくと、道の両側に並ぶ五、六階建ての建物に、空き家が目立つようになってきた。ダウンタウンといえば、以前はメルボルンでも、ロサンゼルスでも、空きビルだらけは別に珍しいことではなかった。昔はアムステルダムもベルリンも、スクウオットハウスだらけだった。

 別な町のストリートを思い出しながら、埃っぽい歩道を歩いていると、いきなり道端に立っている男から声をかけられた。

「YO 兄ちゃん、なんかいらねえか?」

 おっかなびっくり振り向くと、どう見てもホームレスといった風体のおじさんだった。道端に並べた品々を指差している。並んでいるのは、どこかの車からひっこ抜いてきたようなカーステレオや、ファストフードのロゴマークが入ったマグカップといったがらくたばかりだった。数メートル先にいる別の男が、片方だけのスニーカーをスーパーのカートから取り出して歩道に並べている。どこの露天を見ても、さしずめ泥棒市場のようだった。

「YO 兄ちゃん」と呼ぶ声を無視して通り過ぎようとすると、突然下着姿で裸足の若い女性がどこかから飛び出してきた。金切り声で何かわめきたてながら通りを渡ると、建物の間の別な路地に消えていった。

 何事かと立ち止まり、あたりを見まわす僕を、泥棒市場のおっさんたちが物珍しそうに眺めている。

 そうだ。ここはダウンタウンなら「ありがち」な泥棒市場だった。下着姿で裸足の若い女性ぐらい走っていても、別におかしくないだろう。

 そう思い直して泥棒市場を通り過ぎると、道の両側に並ぶ建物は、ますます荒んだ様相を呈していった。建物の入口や窓に、ベニヤ板が無造作に打ち付けてある。玄関がある建物のくぼみには、決まって一人ずつ、男や女が立ったり座り込んだりしている。すぐ近くを通り過ぎる僕には目もくれずに注射針を腕に突きたてている。ここは僕が持っている旅行ガイドによると、森と水の都、バンクーバーだったはずだよな。

 旅行ガイドを確かめて、通りの先のほうに目をやると、道端にたむろする人の数はますます増えて、大きな交差点の角にある建物の前に人だかりができている。

 さすがに旅行ガイドを開いて確かめるのも気がひけて、とりあえず交差点まで歩いていった。石造りの立派な建物のエントランスには、「ナショナル・ライブラリー」と刻まれている。

 人で混み合う敷地の奥に目をやると、ボランティアらしき人たちが野外に持ち出したテーブルで食事と注射針を配っていた。スープとパンを載せたトレイをもらうと、新品の注射器が一本ついてくる仕組みらしい。バンクーバーの国立図書館は、あろうことか、ニードルプレイスになっていた。

 今まで散々いろんな街を訪ねたが、昔はパリのジャンキーの「水飲み場」だったサン・ミッシェルの噴水も、ジュネーブ駅の近くにあった、中に入ればメタドンがもらえる「檻」も、朝になると注射針を配る車が走っていたアムステルダムも、ここまで大胆な発想の「公衆衛生とハームリダクション」ではなかった気がする。パリでもジュネーブでもアムステルダムでも、「たまり場」や「病院」はあったが、元「ナショナル・ライブラリー」がニードルプレイスだなんて街は、僕が知る限り、緑豊かな木々と、美しい入り江に囲まれたバンクーバーだけだった。しかも、タイ料理を食べたアップタウンは外語語の看板だらけだったが、このストリートは英語の看板ばかりなのだ。

 他の国にあったダウンタウンとくらべても、なんてわかりやすく区分けされた街なんだ、と感心しながら交差点を渡ろうとした時だった。信号も消えたままの交差点に、二方向から二台の車が走ってきた。交差点のちょうど真ん中で出会い頭にぶつかると、一台の車はそのままどこかに走り去ってしまった。

 あちこちで歓声があがり、人の群れが交差点に集まってくる。当て逃げされた黒塗りのBMWからスーツ姿の絵に描いたようなビジネスマンが携帯電話を片手におりてくると、交差点を囲む人の群れの興奮は最高潮に達した。口笛や罵声をあげながら、群れをなしてじわじわと歩道から車のほうへ人の群れが近づいていく。

 携帯電話でとこかに連絡を取ろうとしていたスーツ姿のビジネスマンが、慌ててバンパーが壊れたBMWに乗り込み現場から走り去るのを見送りながら、交差点を埋め尽くした人の群れは、フットボール会場のサポーターがあげる勝利の雄叫びのごとく叫んでいた。

「ブラボー!」

 そこへ別の車がやってきて群集を蹴散らして走り去ると、交差点に渦巻いていた興奮は嘘のようにどこかに消え去って、けだるい午後の静けさに包まれていた。

 図書館の角を曲がった数ブロック先に、チャイナタウンのレストランの看板が見えた。喉の渇きを覚えて、近くのカフェに入った。冷えたビールを飲みながら、交差点のほうをぼんやり眺めていた。

 そういえば、僕は通りでものを売っているおじさんにしか声をかけられなかった。他の街ならありえない話かもしれないが、ここはナショナル・ライブラリーがニードルプレイスのストリートだった。数年たてばこの通りにも、ギャラリーやカフェが増えたりしているのかもしれない。

 ぼんやり通りを眺めていた僕は、同じカフェにいたバンクーバー生まれの女性と知り合った。僕より少し年上にしてはスタイルも笑顔もすてきなその女性に、バンクーバーの話をどう切り出せばいいのか考えているうちに、どういう話の流れからか、会話は家族の話になった。彼女には息子がひとりいるらしい。

「息子さんはいくつ?」

 と尋ねた僕に、彼女は言った。

「ああ、昔息子がいたって話よ。この通りでくたばったけど」

 それから僕は彼女と、いろんな国のストリートや、バンクーバーのダウンタウンの話をした。緑豊かな木々と、美しい入り江に囲まれた、森と水の都バンクーバーのことを。

「最初は、ほんとにそう思ってたんだ。ここにきてみるまでは」

 彼女はわかりきったことを思い出す時のような複雑な表情をしながら、僕に向かってうなずいていた。

「あなたが無事でいられたら、また会えるかもね」
 

(第4回・了)